2013年6月16日日曜日
父の日 ・『日本野 必要だけど足りない、これからの日本の緑』の言葉から
父の日。
数ヶ月前に他界した父が生前密やかに書きためていたという短歌を
母が編集し、一冊の歌集にしたものが届く日でもありました。
その前日に手にした一冊の本。
『日本野 必要だけど足りない、これからの日本の緑』/発行 日経BP社。
この本に寄稿されている方々の職業を目にし
たとえば、茶人、酒蔵の主、歌人、…
こうした方々の「言葉を聴いてみたい」と感じました。
記憶に残る言葉を
本に付箋をするのではなく
コチラに抜き書きしておこうと思います。
1.
茶人 裏千家家元 千 宗室さんのお言葉より
「…いま見たこと、いま感じたことを深く考えもせず、安易に言葉や行動で表現しようとするから収拾がつかなくなってしまうし、それがトラブルの種にもなっているように見えます。」(p47)
2.
清酒「月の桂」酒蔵、増田徳兵衛商店代表取締役
増田 徳兵衛さんのお言葉より
「創業から三百年以上、十四代もやっていると、いつも新しいことに挑戦し続ける必要があります。新しいことに挑むからこそ、守っていけるものもあります。」
(p74)
3.
歌人 冷泉家時雨亭文庫常務理事・事務局長
冷泉 貴実子さんのお言葉より
「四季の美は日本の美の基本です。その美が、長い時間をかけて文化として熟成され、私たちは共有できる自然観をつかんだのではないでしょうか。そのなかには、実際にはない自然もあるでしょう。でも、それこそが日本文化であり、日本人ならではの美意識だと思います」
(p85)
いまの私になぜこれらの言葉が響いたのかを考えてみると
そこには父との思い出がありました。
たとえば1。父は言葉をたいせつにする人でした。
その父である祖父も、他人宛の手紙を書く際、何度も下書きをする人でした。
2の言葉には長い年月を生きる人間の静かな挑戦と試行錯誤の重みを感じます。
父は49才の働き盛りに病に倒れ、それまでの生活が一変したにもかかわらず
新たな生きる糧を探し、30年以上生き続けました。
そして3。本日届いた父の歌集には
四季を感じる心から、見えなくても細やかに振舞われた人の思い遣りへの
深い感謝が、みじかい語句によって淡々と綴られていました。
日本という国が
これまでのような明瞭な四季を感じられる場所であり続けられるか
それはわかりませんし
世界にはこのような四季のない地域に暮らす人もいます。
そうした方々との関わりの中で
微細な変化を感じ楽しむ感覚をいかに活かすか。
香りへの感受性の違いを考える上でも再考したいテーマです。
日を改めて違うタイミングでこの本を読んだ時
そのときの私の琴線に触れる言葉と新たな出逢いができますように。
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