2012年2月26日日曜日

「線の旅」に感じたもの・「難波田史男の15年」展

現実には見えていないのに
見たこともないのに
見えるように表現したくなること。

私には小さな頃に何度かあった。
それが何なのかを確認したくて。

夢をみたとき。
こわい、と思ったとき。
未来の自分を想像したとき。
世界中の物語を読んだ時。

10代のころ、私はピアノと声楽に親しんだ。
音、リズム、残響から風景や香りを想像し
メロディのリズムに合わせて文字を描くことも好きだった。
私にとって、文字は絵のように描くもの。
美術の課題でイニシャルのSをモチーフに曲線と色で画面構成をしたら
先生がこっそりなにかのコンクールに出していて賞状をもらった。

大人になってから
焼きものの絵付け体験をする機会があり
周りがみな花柄やハートやら具象を描く中
私は迷わず、線だけでその時の気持ちを描いた。
曲線の連環。

以上の記憶が蘇り、何度も意識に上るようになったのは
難波田史男の15年 を見てからこの数週間のこと。

難波田史男。
彼のことは何も知らなかった。
一度チラリと作品を見たとき
音やリズムを感じて忘れられなくなった。

彼の作品をオペラシティ・アートギャラリーで鑑賞した。
やっぱり音楽を感じた。特に1960年代の作品に。
あるときはピアノ。
あるときはメロディにはならない原音がリズムとともに。

線だけで、見える世界がつくられていた。
線と色で、複雑な言葉のさざめきが感じられたこともあった。
ますます忘れられなくなり、図録を買った。

なぜか「道化師の蝶」を読んでしばらくすると、あの図録、と思い起こし、難波田史男の作品や書き残した日記の言葉を今日初めて読んだ。

その日記の中のこんな言葉が強く響いたので書き出しておく。

「私が点を打つと、私の意識は上下、左右に働きだします。音楽の繊細な旋律の中を変化してゆく音のような形象を追いながら、私は線の旅に出ます。[作者](『芸術生活』1969年7月号、第七画廊での個展告知欄に掲載した短文より)」
…東京オペラシティ アートギャラリー展覧会資料第50号 難波田史男の15年 p234

線の旅。

その旅はこんな感じなのだろうか。
内面に浮かんだなにものかを追いかけていくうち
線は音符になり、言葉になり、カタチになり。
見る人の記憶という背景の中に像を写す。

3月になったら、また観にいこうと思う。



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