この作品は、予感したとおり、私の好きな世界を感じるものだった。
予感とは、「わからないものにこそ、魅かれる」や、「多言語生活のおもしろさ」で書いたとおり。
すぐにでももう一度、最初から読みたくなる気持ちをおさえて、物理的に一読した直後の生々しい気持ちで今ブログを書いている。
もはや「小説」といったジャンルを示す用語で言い表せないような気がする。強いていうならば「言葉の連環がひらく世界」。生まれ出でた言葉の行間には、本来その時空にいなければ感じられない香りや音や手触りがあり、見えない想念や閃きや記憶が無数にまたたいている。時空を超えたその複雑さを読み手は自由に想像できる。そこが楽しい。そんなふうに言葉を選び、レイアウトしながら連ね、環状に文章をめぐらせていく作者の表現は現代アートそのもの。
あらすじ、とか、登場人物。
そんな概念で説明しようとすると複雑なのでこの作品のことを難解だという人が多いのだろう。一通り読まない限り味わえない。だから本の帯に書いてあることだけ読んでもサッパリわからないという人も多いはず。そもそも理解しようと思って読むものではない、感じるものだから。
感じること、これこそ実は無意識の理解であると思う。
感じることのうち、人はいったい、どれ位を言語化できているというのか。
感じる。
読みながら私の場合は、日頃時折り思い起こしてはあれやこれやと想いをめぐらす深い疑問に何度も再会した。そして改めて想像を拡げた。
ドキンと響いて忘れられなくなったフレーズもたくさんある。
私の脳の中に既にあったのに、忘れていたコトたちとの出会い。
とりあえず、一回読んだ時点での第一印象はこのくらいでやめておく。
一週間以内にまた最初から読み始める気がするから。
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