クローゼットの奥からノートや資料の山。
その中に、意外なものを発見してしまった。
それは理系時代、高校2年時の数学の難問解答ノート。
当時の記憶はほとんど無いだけにこうした「証拠」は貴重。
ノートには先生が添削してくださったあとがある。わかるところまで解いてどこからわからなくなったとか、どこから間違っている等…コメントのやり取りが赤ペンで書かれている。赤文字から今でも先生の声がきこえてきそう。
ケアレスミスが多く、「このあわてもの!」というお叱りや「よく考えた!」という励ましが随所にある。この有難い先生とは今も年賀状のやり取りがある。「一人で大人になったんじゃない」といった自分への戒めのために私はこのノートをとっておいたのだろうか。数年に一度発掘されるたびに捨てられないでいる。
数学ではプロセスを積み重ねて解答にたどり着く。すっかり忘れていたが、こうした訓練は後に、問題解決へのプロセスを想像しながらプランをたてる企画力の土台になっていたのかもしれない。
一つの解(成果)にたどりつくまでの紆余曲折は関わった人にしか見えない。これを経験しない人にそのプロセスは想像できないだろうし、想像できないがゆえに企画もたてられない。
現在私は、大学で学生に課題制作を課すとき、まずはプランシートを書かせる。これを書かせなくてもうまく取り組めるのは造形技術修練を積み上げ、制作プロセスに自発的に取り組んだ経験が多い場合のみ。実際そんな学生はほとんどいない。
完成までのプロセスを想像させ、制作のためには何が必要かを考えてもらう。それまでの私の講義で体感した香りの中でどれを表現のテーマとして選ぶか、テーマから広がるイメージの背景リサーチ、その表現は何のため、どんなファッションアイテムのビジュアルになるのか、表現のために必要な技術は何か、それまでに自分が修得してきた造形技術の中から選ばなければならない。制約がある中で最大限できることを考える。
いきなり素晴らしい作品が生まれるわけはない。プランニングから制作へと一通り体験すれば、技術を磨く修練と試行錯誤の経験回数が絶対に必要だと悟るはず。自分でいいと思って表現してもその意図は簡単には伝わらない。何度も繰り返すうちに自分がいいと思う目も厳しくなり、さらに高いレベルを目指すようになる。
そしていつしかこの若い世代に見えるようになると信じたい。時代が求める方向性、人を感動させるような成果、長い歴史を経て愛される芸術作品…これらの背景にあるものを。もちろん目には見えなくても確かに存在する香りの価値も。
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