2013年8月16日金曜日

his story and history・『漂流画家 佐々木耕成 85才』小田嶋 孝司 著

待っていた本が届く。



読みたい理由は二つあった。
一つは85才という年齢の数字。
実父(81才)を亡くしたばかりの私は、父と同年代を生きた一人の日本人画家がどのようにこれまでの時間を漂流してきたのかを知りたかった。
もう一つは著者と画家との関わりの歴史への興味。
著者の小田嶋さんは、私が大学卒業後の就職先で出会った師だった。

『漂流画家 佐々木耕成 85才』小田嶋 孝司 著 /株式会社 文園社

そして届いた今日、一気に一読。
佐々木耕成氏のこれまでの漂流を追う。
「彼」の略歴を本表紙折り返しの記載や本文を参照しながら記してみる。

1928年熊本に生まれ、満州にてソ連軍に遭遇。17才でシベリアに抑留され命懸けの脱走、帰還。郷里での様々な試行錯誤から画家を目指し上京。武蔵野美術学校在学中から新進気鋭のアーティストとして認められる。
1962年には「汎太平洋青年美術展」において「国際青年美術家展賞」受賞。現代日本美術展入選。脚光を浴びた当時ですら少々有名になったくらいで画家だけで食べていけないという現況を受け止め、東映動画でアニメーションの背景画を描く仕事もしていた。
1964年より前衛芸術集団「ジャックの会」にて活動後、日本のアート界と絶縁しニューヨークへ移住。最初の3年はフォード財団からの招待作家としてではあったが、その後はマンハッタンで内装工事を請け負うアトリエを主宰した生活を送る。
1985年、ヨーロッパ14か国放浪後帰国。1990年より群馬県赤城山中奥深くで定住。1996年自力でアトリエを建て創作活動開始。
2007年に、ニューヨーク時代に彼のスタジオに属し大きな影響を受けた人物の一人がインターネット検索により彼の消息を発見、同じくニューヨーク時代に彼に出会ったことが自らの原点であるという著者にも知らされ、当時の関係者が彼に再会。
2010年には東京、アーツ千代田3331にて彼の個展開催。
……まだまだ彼の物語は続く。

自分には何ができるか、を考え続けての漂流。
80才を過ぎた彼の言葉で、著者が特に感銘を受けたのが
本の表紙にもある
「僕ぁ、生きているだけで嬉しいのです。」
であるという。
確かにこの言葉には力がある。
人間なんて、一人では生きていけないから人間。
他人のおかげで生きられる、ということも現実であるし
他人のせいでいつ不本意な死を迎えてもおかしくないのが人間だ。
その両方、有り難みと危機感を何度も実感しなければ
心から言える言葉ではないだろう。

彼の物語を追いながら、著者小田嶋さんの物語も追った。
そして1945年から現在までの現代史も同時に読んでいた。
私が生まれる前の時間、戦争を体験した父が生きていた時間も含めて。
大学紛争の時代に大学生だった小田嶋さんが5月革命の余韻の残るパリで、デモ隊の先頭に立つJ・ポール・サルトルを目の当たりにした話…。
まるで映画を見ているような読書だった。
貴重な物語に出会えたことを嬉しく思う。



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