2012年2月1日水曜日

多言語生活のおもしろさ

母国語は日本語。
情報収集のために英語とフランス語もよく使う。
いわゆる「ペラペラ」ではないがそんなことはどうでもいい。一つの言語習得に終わりはないのだから、日々必要に応じて少しでも語彙を増やしていけばよい、くらいに思っている。間違って笑われようとも積極的に使う。そもそも母国語ですら完璧だという自信はないので手紙を書くときも辞書は手放せない。
植物の学名はラテン語なので、これはなるべく覚えるようにしている。なんといっても植物学名は万国共通。英語やフランス語にはラテン語由来のものが多い。

イタリアに取材出張したとき、事前に挨拶フレーズと数字と疑問詞だけは憶えていった。街中で買い物したり道をきいたりするだけならこれだけでも事足りた。ブルガリアに出張したときも同じ。全ては必要の頻度の高い言葉から始まった。

化学記号も数式も、ある意味初めて学ぶ側にとっては「外国語」。
このきまりごとの中で表現する手段をもつと、考える方法も増える。

行く場所、会う人、会う目的によって身に纏う香りや服装を替えるのであれば、言語も使い分けできたら面白いだろうとよく思う。基本は母国語で考えるのだろうけれど、発する言葉はたとえ一言でも意志や思考の表現。服装と同じく。

そんなことを日頃から考えていたので、なおさら気になるのが今月発刊されるという「道化師の蝶」。第146回芥川賞受賞作。1/29日経新聞19面の「文壇往来」でこんなふうに紹介されていた。

…世界中を旅しながら30を越える言語で書く「友幸友幸」という正体不明の作家が無活用ラテン語で記した唯一の作品『猫の下で読むに限る』。これが書かれた謎を解明しようと「わたし」は調べていく。多重人格の「わたし」によってつづられ、入れ子細工ふうの構造でつくられた難解な作品だ。…

30を越える言語とか、無活用ラテン語…。難解という先入観はさておき、この文学は体験してみたいと思う。そもそも難解だからこそ面白いものが多く、簡単と感じるものに情熱など湧かない。

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