マガジンワールド Webダカーポ 2013,7,31記事より
片岡英彦のNGOな人々 (Non-Gaman Optimists)
「日本料理と料理人たちのチカラ 辻調グループ代表・辻 芳樹さん。」
お魚やお米の美味しい北陸に生まれ
羅臼昆布や土佐の鰹でだしをとる祖母の丁寧な料理を
幼い頃からいただいていたことを思い起こしながら
興味深く上記を読みました。
辻さんのコメントには共感できる部分が多くあります。
たとえば冒頭。
食材をどう組み合わせて味をつくるかという話でお刺身がでてきます。
カルパッチョとの最大の違いは、魚は最初からわさびや醤油とはあえられていないということ。添えてあります。
そういえば私は、郷里で美味しいお刺身をいただくときはまず魚の味をあじわい、追いかけるようにわさびかショウガ、次に醤油という順で食べているのですが、こうした味の並列状態のことが指摘されていました。
多分海外の人であれば、最初から魚の生臭みなんてハーブや香辛料のソースで和えておこうと考えるでしょう。でも本当に新鮮な刺身は魚の種類によって独特の風味があり、一瞬でもまずはそれを味わいたい、という好奇心のような癖が私には子供のころからあるのでした。そのあとでじわりとやってくる生臭みを、強烈なわさびやショウガの激しい香味でガツンと抑えて…という流れの楽しみです。
そして鮎の食べ方。
どういうわけかあの鮎独特の苦味を食べると反射的に酸味が追いかけてくるような記憶が確かにあり、これは小さい頃から親戚の家で夏に会食をすると必ず出された鮎の食べ方だったと回想。おかげで鮎という魚の匂いの特徴、どことなく西瓜のような不思議な匂いもセットでおぼえています。
記事中、辻さんはこう語っています。
「フランス料理と日本料理を融合しようとした時に、その構造を一旦崩して最初から書き直さなければいけない時があります」
この言葉におおいに共感し、思い起こしたのが、私が小学生時代に祖母が定期購読していたNHKの「きょうの料理」テキストで特集されていたフランス料理の基礎。ベシャメルソースからはじまるソースの作り方が長々と写真とともに綴られており、これを見て当時の私は大きな衝撃を受けました。
普段食べている和食とは作り方がまったく違うであろうことに大きな好奇心をもち、幼いながらも、そうした知識を普段の家庭料理に祖母がどのように活用しているか聴いたのでした。
和食に慣れた家族の味覚に合わせるために、グラタン用のソースをフランス料理のソース式そのままではなく、アレンジしている工夫を聴かされました。祖母はとりたてて料理が好きだというわけではなかったそうですが、いかに大切な孫たち(兄と私)に栄養のある美味しいものを食べさせるかという情熱で、さまざまな文化圏の料理方法を研究していたのだと思います。
こうした祖母の細やかな努力のおかげで私は好き嫌いも特になく、のちに海外にホームステイした際にもその地の食を受け入れ、食材にも積極的に興味を持てるようになったのかもしれません。
こうした豊かな味覚体験は
香りを楽しむ感覚にも十分生かされています。
記事の後半で、辻さんが
お店のカウンターの杉の香り方をはじめとする店の香りで良い店かどうかがわかるというお話をされています。もっともです。味にたいする繊細な感覚は、嗅覚とともに磨かれるはずだからです。
もちろん、いかにしたら良い味、喜ばれる味を創造できるかという思いの延長上には日々の道具の手入れ、環境の整備も当然ながら重要な仕事となり、ひいてはそうした感覚を鈍らせない料理人自身の健康管理もできてくるはずです。そして、これは相手あってのもの。自己満足ではなく、味わって喜んでもらいたい相手のことを知らなければ、策は練れません。
海外に日本の味を伝える、そのままではなく、地域風土を研究・理解した上での想像と再創造という翻訳。まずは多様な感じ方や考え方の存在を知り、それらを受けいれることから慣れ親しんだものを見つめ直す必要がありそうです。
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