講義のためにと資料を探していたら昔の"PARFUM"誌に遭遇。時は1991年。80号(冬号)に、私がイタリアに行ったときのエピソードを記した文章があり、懐かしく目をとめました。
…白いカフェテラスに映える恋人たちの装い、くすんだベージュの大聖堂を背に勇ましく行進する少年たちの紅潮した頬、そして、秋の光に段々と染まりつつある深緑の街路樹。心地よい視覚の世界だ。
これはその文章の中の一節です。10月半ばのミラノの街並を描写したものです。当時、リネアモーダという雑誌の編集者であった私は、MIPELというバッグの見本市取材のために約1週間ミラノに滞在しました。1日だけフィレンツェを訪れましたが、このわずかの滞在で私はすっかりイタリアが好きになり、帰りたくないという気持ちが強かったことを良く憶えています。
まず、表情が豊かであることイコール、コミュニケーションとなること。これは気持ちの良いものでした。挨拶語、数字、疑問詞位しかイタリア語を知らなかった私は顔の表情と声のトーンで何とか言いたいことを伝えようとしましたが、私が出会ったイタリアの人たちは笑顔で答えてくれました。
次に、自分の気持ちを表現して着ていた服装にきちんと反応してくれること。ファッション関係者が集まるMIPEL会場では初対面の人と挨拶をかわそうとすると、まずさりげなく服装をチラリと見られ、その上で話が始まります。これはある意味仕事上のことかもしれませんが、こういった場所だけでなく、ふらりとランチに入ったお店でも、見知らぬ人からごく自然に「素敵な色ですね」と着ていたものに反応されたりしました。こういうことは勿論彼らからすると一種社交辞令のようなものかもしれませんが…。
そして、口にするものの美味しさ。街のあちこちにあるバールのエスプレッソやカプチーノの香りの良いこと。あの香りと共に、イタリアのコーヒーの美味しさは忘れません。通訳の方に連れて行っていただいた、現地で大人気のピッツアのお店もそれはそれは気さくな雰囲気で、オリーブオイルをたっぷりかけて食べる本場の味の美味しさに感激しました。
心地よいこと、美しいと感じること。こうした感情を大切にしながらも、気負わず気さく。この空気感は今も深く印象に残っています。イタリアに関しては、また細かなことを思い起こしたら改めて色々と書きたいと思っています。
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