ふわふわの毛に覆われた猫をみておもう。
服も着ないでこれほど美しく強い存在とは。
翻って人はといえばハダカではいられない。
何故なのか。改めて考えてみる。
法律上、衛生上、健康上…というのは大前提として
それらの意味を凌駕するのは
まずは羞恥心という自意識。
他者からの防御。
自分は何者であるかの確固たる表現。
逆に
自分の姿を隠すための変身の表現。
あたたかい地域でほとんどハダカで生活できた人間が
被服の文化を身につけたことにより
さまざまな気候風土の環境に適応して生き延びることをおぼえた。
地球上の広範囲で人が生きられるのも
こうした適応のおかげかもしれない。
所変われば食べ物変わる。
食べ物変われば身体が変わる。
身体が変われば服も変わる。
服が変われば行動は変わる。
…
そんなサイクルを考えた。
きっかけはこの展覧会のニュースにある。
人類の進化と衣服の歴史「杉本博司 ハダカから被服へ」展が開催中。
是非観に行きたいと思う。
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