18歳まで過ごしたこの地に
秋も盛りの10月に私がいるということは
何十年もなかったことだと思う。
あえて飛行機を選ばず陸路にて。
上越新幹線を使う新潟まわりの経路。
風景をみたかった。
越後湯沢で乗り換えた北越線はくたか号は
車窓が大きく座席もゆったりとしていた。
糸魚川〜魚津間にて
淡いブルーグレイの静かな日本海を眺める。
翌朝。病院を訪れる前に自宅付近を散歩。
自宅裏に今もある幼稚園には3年間お世話になった。
幼稚園前の通り沿いに鮮やかなオレンジ色の実をつけた木を発見。
このあたりでよく友人と遊んでいた。
秋晴れの空のもと
葉も実もキラキラと輝いている。
きれいな空気を通ってきた光ならではの色。
明らかに東京で見る色とは違う。
自宅から約10分も歩けば着くこの裏門。
高校での記憶はあまり無い。
大きくそびえる木はあの頃のままのような気がするが
建物には年月を感じる。
私の記憶の中には、通学路にいくつかの店や医院が並んでいた。
そのほとんどが、いまや無い。
かつてあったものの多くが
年月とともに無くなり、
代わりに新たなものが出来るでもなく
ただ、隙間という空いた場所が増えていく。
見晴らしばかりが良くなり
人の気配が薄くなっている。
人の多すぎる東京に慣れたせいかもしれない。
JR富山駅から南富山行きの路面電車(通称、市電)は健在。
3歳に富山市内に来てから18歳までの時間、何度も乗った。
富山駅から南富山駅までの市電乗車中
私の意識は
眠っていた記憶と車窓からの視覚との間を何度も往復した。
何十年たっても健在なものと
既に無いものとを比較しつつ
これからの10年で
淘汰されつつも再生し得る可能性を秘めた地域の力を想像。
帰路の北越線ではヨーロッパ系外国人の姿もチラホラ。
ドイツ語を話す父娘が印象的だった。
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