2011年6月1日水曜日

「東京のフレンチはうまい」の勘違い …から感じた味と香りの文化理解に必要なこと

本日午前零時にアップされた、日経ビジネスオンライン・新ローカリゼーションマップの最新記事ー「東京のフレンチはうまい」の勘違い フランスで成功した日本人シェフの軌跡ーを読み、深く共感。この記事はまずは今後海外でビジネスを展開しようと志す多くの日本人に読んでもらいたいと思った。

私は大学でフランス語を専攻したが、その動機は日本とは異なるフランスという国の文化を少しでも理解したいという思いだった。世界史を学ぶ過程で強烈に魅かれたこの国の理解は、言語の理解なくして有り得ないと感じたからである。

さらに短期間でもフランスで滞在し、その生活様式に浸る経験を持った。(フランスの家庭にホームステイさせて頂いた)パンの美味しいパリに来たのだからご飯なんて食べなくてもいいとさえ思うようになったこと、環境を変えて生活する、適応することで見えてくる文化があると感じたものだった。

こうした体験を通じ、フランス人の大切にしている価値観を頭で理解した上で、日本で生まれ育った感受性を振り返り、初めてその両者の違いや共通点、相互理解に必要な論理展開があるのではないかと思えた。

現在私は香りの文化をテーマに仕事をしている。そのような私の立場からも、この記事の文中至る所に共感できるところが多い。「料理」という言葉をそのまま「香りの文化」と置き換えたくなる。

たとえば、文中こんな言葉が登場する。
「料理人は農家の通訳なんです」
まさに。素材の素晴らしさを味で伝える料理人ならではの姿勢。
この言葉を私は
「アロマセラピストは植物の通訳なんです」
と置き換えたくなった。ひとつひとつの芳香植物の香りとその用いられ方、文化背景、活用法を伝える役割はまさに通訳かもしれない。そして植物の豊かな言葉を用いて芸術的な文学や音楽のような形に作り上げるのが調香師なのかもしれない。

味覚と嗅覚は深く関わりあい、感覚表現の難しさがよく指摘される。だからこそ、文化背景とその感じ方の違いを言語によって説明する論理展開は不可欠。自分の感性がイチバンなんて思うところからは何の進歩もない、それはそれ。かつての日本人が繊細な日本茶(緑茶)の日本人の感じ方にとらわれすぎて、世界市場でインドの紅茶に敗北した歴史も思い起こしつつ、持ち前の繊細な感性が文化理解と適合に生かされていくことを期待したい。








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