今回の災害で、少なくとも同じ日本に住んでいて、何の影響も受けなかったという人はいないのではないかと思う。広く言えば、同じ地球上の生物全てに影響を与えているもの、と私は感じる。
震源の近くで直接的ダメージを受けた人、遠くにいても不安にさいなまれた人、不安によって錯綜する情報で混乱する人、時勢の空気が一変したことにより順調になりかけた商談が破談あるいは延期になってしまった人、楽しみにしていた予定が中止、延期になってしまった人…。それぞれ内容や事情は違っても、地球上に生きている限り皆被災者。
だからTwitterでつぶやかれていることが何であろうといちいち過剰反応しない。そもそもタイムライン上には自分がフォローした人たちの「今」がそこにある。一人の人間がいつも冷静な、あるいは良い気分でいられるだろうか。ましてや非常時に。飾り気なく「今」の気分が書かれているとしたらお互い様。そこに緻密な信憑性や専門性を求めて目くじらをたてるより、「今この時、いろんな感情がうずまいている」とただ受け流す。発信側にも気分があるように受信側にもその時々の気分がある。昨日は気にならなかったことが今日は気になる。そのような気分を自覚したらそのような自分を素直に受け入れて、「疲れているのかも」と眠りに入るもよし。良い香りのお茶を頂くもよし。別のことに着手するもよし。ちょっと元気になったら、疑問に感じたことを自分なりに調べてみればいいだけだ。それを機に勉強するもよし。
先日読み返した「花の知恵」からも感じたが、自然環境というものに絶対の安全、安心などはなく、その中でなんとか生き延びようとする自然生命体は予期せぬ苦難にもめげない。ちょっと植物の気持ちになってみよう…自分も自然なのだから、自然環境の中で生きる自分という自然をまず受け入れる。全身で反応しながら試行錯誤を繰り返し、「生き」て種を繋ごうとする。花の工夫の数々は、まるで人がさまざまな科学技術を駆使して現代文明を築き、繁栄しようとする姿と重なる。
考えても調べても何も確かなことはわからない。そう思ったら深呼吸して自分の感覚や感情に問う。わかるのはその今の気分。身体の声を聞くことにする。地球が自然なら人も自然。自分という自然も予測不可能なのだから、せめて「今」の自分くらいは自覚しておきたい。
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