2日前の記事で触れた
1991年秋にミラノで出逢い
その香りとボトルの印象のみから魅かれ
日本へ連れ帰ったフレグランスの一つを
Fragranticaで検索すると発見。
コチラ
ミラノのモンテナポレオーネ通りを散策中に立ち寄った
PUROFUMERIA ? だっただろうか。音の記憶でスペルを書いてみる。
薬局の延長上のような化粧品店に入り
まずはボトルに魅かれ、次に香りを試して即買うことに。
みずみずしいオレンジ…花々がさらさらと
海風に運ばれて私のもとにたどりついたような安らぎ。
たしかこの香りへのラブレターのような文章を
香りの雑誌に寄稿した。
この一年後、私は本物の安らぎを実感するような出来事を体験する。
そのときの実感が本物であったことは23年経った今だから
腑におちたのかもしれない。
そしてこのフレグランスを生み出したブランド、
クリスチャン・ディオールのサイトにまだ健在である。
キャッチコピーが23年後の私に深く響く。
実はミラノのあの店ではもう一つのフレグランスに魅かれた。
こちらはボトルキャップのインパクトと
その香りの、いまだかつてないほどのフローラルブーケ感。
Fragranticaにて検索。
コチラ 。
そして、これも健在。
ジバンシィのサイトのコチラ に。
ディオールのDUNE も ジバンシィのAMARIGE も
時代を反映してはいるが
決して万人に好かれることを最優先で作られたとは思えない。
熱烈に好きと思う人もいれば嫌う人もいる。
本来香りはそういうものだ。表現されたものは。
しかし、諸刃の剣ともなり得るユニークな特徴は
支持者には深く長く愛される。そして記憶から消えない。
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