何者であるか、ありたいか。
そんなことなど未知数だった10代の頃、
私が着る服は私の自由にはならず
母によって選ばれていたということを思い起こす。
17才のとき。
とある身内のお祝い事のパーティーのためにと
私にあつらえられたのは、ジュン・アシダのワンピースだった。
素顔の私の紅潮した頬のような薔薇色。
そのときの私にはピッタリの色だったのだろうと振り返る。
この服によって私は私を知り始めることになる。
芦田 淳 著『髭のそり残し』角川学芸出版懐かしい記憶からこの新刊を手に取り、本日一読。
今年他界したばかりの私の父とそう変わらない年齢、
現在83才の芦田淳氏は
日常生活の中で
もっとこうしたらもっと素敵に幸せに、
という気持ちを大切に過ごされてきたことがよくわかる。
そして
このような心は生きている限り続く。
心映えの美しさに老いはない。
ほんの少しの創意があることで
人は笑顔になり
美しくなり
周囲を幸せにすることができる。
具体的なエピソードの数々。
髭のそり残し、というタイトルに
細やかさが滲み出ている。
服装を大切に考える姿勢と同じく
言葉の選び方、使い方を大切に考える人は
生きている限り、みずみずしさを失うことはないだろうと思う。
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