情報の質を見極める眼力を身につけることの大切さをこの記事から改めて思う。【JB PRESS】2009,12,17の記事である。タイトルは
『日本人の「国産」「天然物」信仰はスキだらけ』。
4p目の内容から、私がアロマテラピーを学んだ頃に考えたことを振り返ってみた。薬事法で定められたもののみが「効能」をうたえるというくだり、私はアロマテラピーを勉強し始めた頃真っ先に学んだ。日本で誤解なく健全にアロマテラピーを普及させたいと願った国内の先駆的研究者の方々の配慮のおかげであると感謝している。
伝承的な背景から健康に役立つ可能性が天然精油にあるとしても、現在の日本の法律が認める医薬品と同じような扱いはできない。天然精油は医薬品とは法律上の基準が異なるために異なるカテゴリーに入れられることも理解した。だからといって無価値な訳ではない。役立つ可能性があるからこそ、実践と研究が続けられている。
私はこのようなデリケートな分野に携わる中、わかっていると思えることの中にも誤解があるかもしれない可能性と、わからないと思っていることの中にもいつかは理解できるかもしれない可能性を想定しながら、アロマテラピーを実践している。
そもそも香水が好きだった私は、身につけているだけで気分が上がり、悲しい思いをした時期にも随分気分がまぎれ救われた思いがした経験をもつ。香りはこんなに素敵なものなのに、日本の中で香水に抵抗を示す人も多く残念。そんなときに目に飛び込んできたアロマテラピーという考え方。もっと香りの有用性を勉強したいと思い、まずこの分野で日本で発行されている本を読んだ。
チャンスが訪れた。イギリス留学でアロマテラピーを学んだ方々や医師の研究会を聴講させていただく機会を得たのは1995年の事だったと思う。体質や感受性の観点から欧州流の方式をそのまま日本で普及させるのは難しいということゆえ、日本に合った形式を考え作っていかなければという皆さんの真剣な熱意を感じたことを憶えている。このメンバーの中には、後に社団法人日本アロマ環境協会名誉会長となられた医学博士の鳥居鎮夫氏の姿もあった。
その会の中核にいらした先生のもとでアロマテラピーを学んだあと、様々な疑問について考えるにあたり、英語圏からの専門書を取り寄せて読んだりもした。複数の研究者の著書を読むことから、わかっていることと、わかっていないこととを区別する訓練となった。
数学の教師だった母は「世の中に『絶対』なんてことはないし、気軽に言うものではない」と事あるごとに言っていた。母は他人の話を鵜呑みにせず、いつも自分でも調べてから判断しようとしていた。その性格が強く出たのは、父が突然倒れたときの医師の診断への対応。一人の医師の判断を「可能性の一つ」と捉えて納得いくまで調べた結果、父は今も生きている。
可能性はよくパーセント(百分率)で示される。「絶対」という言葉は、0または100という数字の設定のためにあるのかもしれない。この二つの数字の間に現実の可能性がある。情報が氾濫する中で、その意味と読み方を深く考えていきたいと思う。
2011年3月29日火曜日
2011年3月27日日曜日
青いパパイヤの香り(l'odeur de la papaye verte)・1993
東南アジアから帰国した知人がベトナム料理の美味しさを語っていました。思い起こしたのがこの映画、青いパパイヤの香り(原題:l'odeur de la papaye verte 1993年 フランス・ベトナム合作映画)。ベトナムで生まれ、12才でフランスに移り住んだトラン・アン・ユン監督31才の時の作品です。
私が映画館で鑑賞したのは1994年8月。当時の香りの専門誌PARFUM夏号(90号)で紹介され、公開を楽しみにしていました。大変な人気で、映画館でも長い列に並んでようやく観られたことを憶えています。…とある土地で人は人と共に暮らし、食事を用意し、変化する中で淡々と生きていく…今も昔も変わらぬ人の営みの中にはこんなにも輝きがあります。そんなふうに感じたのは私だけではないでしょう。
匂いを感じさせてくれた映画として、私には忘れられない作品の一つです。視覚から感じた匂い、人の感情のあれこれは17年経った今でも瑞々しく心に響いてきます。映画パンフレット表紙にも使われている、この緑陰にたたずむ少女の眼差しに魅かれ、私はこのポストカードをその後何年も飾っていました。

淡々とたたみかけるように流れる映像。熟した黄色いパパイヤしか知らなかった私は、薄緑の青々としたパパイヤがもがれ、洗われ、皮を剥かれたときに現れる純白の真珠のような粒々の種をみて目を奪われました。ヒロインも同じように驚いたのでしょう。素敵なものとの思いがけない出会いの瞬間が丁寧に描かれ、無駄なセリフもなくゆっくりと心に染みていきます。
…
淡い緑の皮の中、真っ白な中身が刻まれて料理になるパパイヤ。
庭にしゃがんで、地を歩むアリを見つめる少女の瞳の輝き。
成長した少女が月明かりを受けながら静かに洗う長い黒髪。
黒いピアノを前に作曲家の若い男性が着ている白のシャツ。
誰もいないはずの場所でこっそり赤のドレスを着て鏡を見るヒロイン。
…
今も大切に保管してある映画パンフレット(発行:シネマスクエアとうきゅう)には、この映画が受けた三つの栄誉が記されています。
1993年カンヌ国際映画祭カメラドール(新人監督賞)受賞
1994年セザール賞新人監督賞受賞
1994年アカデミー賞外国語映画賞ノミネート
私が映画館で鑑賞したのは1994年8月。当時の香りの専門誌PARFUM夏号(90号)で紹介され、公開を楽しみにしていました。大変な人気で、映画館でも長い列に並んでようやく観られたことを憶えています。…とある土地で人は人と共に暮らし、食事を用意し、変化する中で淡々と生きていく…今も昔も変わらぬ人の営みの中にはこんなにも輝きがあります。そんなふうに感じたのは私だけではないでしょう。
匂いを感じさせてくれた映画として、私には忘れられない作品の一つです。視覚から感じた匂い、人の感情のあれこれは17年経った今でも瑞々しく心に響いてきます。映画パンフレット表紙にも使われている、この緑陰にたたずむ少女の眼差しに魅かれ、私はこのポストカードをその後何年も飾っていました。

淡々とたたみかけるように流れる映像。熟した黄色いパパイヤしか知らなかった私は、薄緑の青々としたパパイヤがもがれ、洗われ、皮を剥かれたときに現れる純白の真珠のような粒々の種をみて目を奪われました。ヒロインも同じように驚いたのでしょう。素敵なものとの思いがけない出会いの瞬間が丁寧に描かれ、無駄なセリフもなくゆっくりと心に染みていきます。
…
淡い緑の皮の中、真っ白な中身が刻まれて料理になるパパイヤ。
庭にしゃがんで、地を歩むアリを見つめる少女の瞳の輝き。
成長した少女が月明かりを受けながら静かに洗う長い黒髪。
黒いピアノを前に作曲家の若い男性が着ている白のシャツ。
誰もいないはずの場所でこっそり赤のドレスを着て鏡を見るヒロイン。
…
今も大切に保管してある映画パンフレット(発行:シネマスクエアとうきゅう)には、この映画が受けた三つの栄誉が記されています。
1993年カンヌ国際映画祭カメラドール(新人監督賞)受賞
1994年セザール賞新人監督賞受賞
1994年アカデミー賞外国語映画賞ノミネート
2011年3月23日水曜日
PARFUM春号(157号)発刊
香りの専門誌"PARFUM"春号(157号)が発刊され、本日私の元に届きました。最新号とともに、編集長から丁寧な書状が添えられています。「…30年以上も無事に本誌を出版出来ることは関係者各位さまのご協力の賜物といつも感謝しております。…」今年も春の訪れとともに香り情報満載のこの冊子を手にすることができて、私自身も嬉しく思います。

今回の春号では、4/7から東京藝術大学大学美術館にて開催される[かぐわしき名宝・香り展]について見開き2ページに渡って紹介されています。さらに新連載[時代をリードした香り美人とファッション]が始まりました。春は特に香りの新商品が多い季節でもありますが今回も華やかです。サルバトーレ・フェラガモ インカント・ブルームから3月に発売されたばかりのソリッドパフュームについてのインタビュー記事も興味深いですし、スワロフスキーの香りや、ニコライ・バーグマン(フラワーデザイナー)による花の香りのデビューも嬉しいニュース。
春は新年度の始まり。香りが新しい出逢いを運んでくれますように。

今回の春号では、4/7から東京藝術大学大学美術館にて開催される[かぐわしき名宝・香り展]について見開き2ページに渡って紹介されています。さらに新連載[時代をリードした香り美人とファッション]が始まりました。春は特に香りの新商品が多い季節でもありますが今回も華やかです。サルバトーレ・フェラガモ インカント・ブルームから3月に発売されたばかりのソリッドパフュームについてのインタビュー記事も興味深いですし、スワロフスキーの香りや、ニコライ・バーグマン(フラワーデザイナー)による花の香りのデビューも嬉しいニュース。
春は新年度の始まり。香りが新しい出逢いを運んでくれますように。
2011年3月22日火曜日
自然は自然の中で
今回の災害で、少なくとも同じ日本に住んでいて、何の影響も受けなかったという人はいないのではないかと思う。広く言えば、同じ地球上の生物全てに影響を与えているもの、と私は感じる。
震源の近くで直接的ダメージを受けた人、遠くにいても不安にさいなまれた人、不安によって錯綜する情報で混乱する人、時勢の空気が一変したことにより順調になりかけた商談が破談あるいは延期になってしまった人、楽しみにしていた予定が中止、延期になってしまった人…。それぞれ内容や事情は違っても、地球上に生きている限り皆被災者。
だからTwitterでつぶやかれていることが何であろうといちいち過剰反応しない。そもそもタイムライン上には自分がフォローした人たちの「今」がそこにある。一人の人間がいつも冷静な、あるいは良い気分でいられるだろうか。ましてや非常時に。飾り気なく「今」の気分が書かれているとしたらお互い様。そこに緻密な信憑性や専門性を求めて目くじらをたてるより、「今この時、いろんな感情がうずまいている」とただ受け流す。発信側にも気分があるように受信側にもその時々の気分がある。昨日は気にならなかったことが今日は気になる。そのような気分を自覚したらそのような自分を素直に受け入れて、「疲れているのかも」と眠りに入るもよし。良い香りのお茶を頂くもよし。別のことに着手するもよし。ちょっと元気になったら、疑問に感じたことを自分なりに調べてみればいいだけだ。それを機に勉強するもよし。
先日読み返した「花の知恵」からも感じたが、自然環境というものに絶対の安全、安心などはなく、その中でなんとか生き延びようとする自然生命体は予期せぬ苦難にもめげない。ちょっと植物の気持ちになってみよう…自分も自然なのだから、自然環境の中で生きる自分という自然をまず受け入れる。全身で反応しながら試行錯誤を繰り返し、「生き」て種を繋ごうとする。花の工夫の数々は、まるで人がさまざまな科学技術を駆使して現代文明を築き、繁栄しようとする姿と重なる。
考えても調べても何も確かなことはわからない。そう思ったら深呼吸して自分の感覚や感情に問う。わかるのはその今の気分。身体の声を聞くことにする。地球が自然なら人も自然。自分という自然も予測不可能なのだから、せめて「今」の自分くらいは自覚しておきたい。
震源の近くで直接的ダメージを受けた人、遠くにいても不安にさいなまれた人、不安によって錯綜する情報で混乱する人、時勢の空気が一変したことにより順調になりかけた商談が破談あるいは延期になってしまった人、楽しみにしていた予定が中止、延期になってしまった人…。それぞれ内容や事情は違っても、地球上に生きている限り皆被災者。
だからTwitterでつぶやかれていることが何であろうといちいち過剰反応しない。そもそもタイムライン上には自分がフォローした人たちの「今」がそこにある。一人の人間がいつも冷静な、あるいは良い気分でいられるだろうか。ましてや非常時に。飾り気なく「今」の気分が書かれているとしたらお互い様。そこに緻密な信憑性や専門性を求めて目くじらをたてるより、「今この時、いろんな感情がうずまいている」とただ受け流す。発信側にも気分があるように受信側にもその時々の気分がある。昨日は気にならなかったことが今日は気になる。そのような気分を自覚したらそのような自分を素直に受け入れて、「疲れているのかも」と眠りに入るもよし。良い香りのお茶を頂くもよし。別のことに着手するもよし。ちょっと元気になったら、疑問に感じたことを自分なりに調べてみればいいだけだ。それを機に勉強するもよし。
先日読み返した「花の知恵」からも感じたが、自然環境というものに絶対の安全、安心などはなく、その中でなんとか生き延びようとする自然生命体は予期せぬ苦難にもめげない。ちょっと植物の気持ちになってみよう…自分も自然なのだから、自然環境の中で生きる自分という自然をまず受け入れる。全身で反応しながら試行錯誤を繰り返し、「生き」て種を繋ごうとする。花の工夫の数々は、まるで人がさまざまな科学技術を駆使して現代文明を築き、繁栄しようとする姿と重なる。
考えても調べても何も確かなことはわからない。そう思ったら深呼吸して自分の感覚や感情に問う。わかるのはその今の気分。身体の声を聞くことにする。地球が自然なら人も自然。自分という自然も予測不可能なのだから、せめて「今」の自分くらいは自覚しておきたい。
2011年3月21日月曜日
桜の場所
春分の日の今日、桜を想う。
毎年満開の季節を迎えると、近所の馴染みの桜の木の下を、早朝か夕暮れの人通りの少ない時間帯に通ってみる。ふわり。確かに香っていることに気づくのが嬉しい。
視覚的イメージの記憶を手繰ると、私には主に3つの桜の場所が浮かぶ。
18才まで暮らした郷里富山市の松川べり。
学生時代の場所、上智大学近くの外濠公園。
一昨年の春に満開を堪能した、国立駅から続く大学通り。
桜といっても多くの種類がある。その種類を一度に多く堪能できる場所はないか。かつて書物で読んだ記述を思い起こす。大阪市北区天満にある造幣局の「桜の通り抜け」である。
独立行政法人 造幣局のHPによると、造幣局構内、淀川沿いの全長560mの通路を一般花見客のために約1週間開放しているらしい。約120品種、約350本をこの560mの間で楽しめる。
桜の通り抜け桜樹一覧表を参照すると色も形も様々。この表を丁寧に読むと、芳香を特徴とするものも確かにある。
いつかこの道を必ず歩いてみたいと思う。
毎年満開の季節を迎えると、近所の馴染みの桜の木の下を、早朝か夕暮れの人通りの少ない時間帯に通ってみる。ふわり。確かに香っていることに気づくのが嬉しい。
視覚的イメージの記憶を手繰ると、私には主に3つの桜の場所が浮かぶ。
18才まで暮らした郷里富山市の松川べり。
学生時代の場所、上智大学近くの外濠公園。
一昨年の春に満開を堪能した、国立駅から続く大学通り。
桜といっても多くの種類がある。その種類を一度に多く堪能できる場所はないか。かつて書物で読んだ記述を思い起こす。大阪市北区天満にある造幣局の「桜の通り抜け」である。
独立行政法人 造幣局のHPによると、造幣局構内、淀川沿いの全長560mの通路を一般花見客のために約1週間開放しているらしい。約120品種、約350本をこの560mの間で楽しめる。
桜の通り抜け桜樹一覧表を参照すると色も形も様々。この表を丁寧に読むと、芳香を特徴とするものも確かにある。
いつかこの道を必ず歩いてみたいと思う。
2011年3月19日土曜日
花の知恵 (モーリス・メーテルリンク著)
この1週間、私は、幾度も花を眺めその香りに包まれた。
疲労がピークに達した昨日、バラの花の香りで身体が楽になるのを感じた。正確に言えば、香りを嗅いで即座に楽になったのではない。まず自分がひどく疲れていることに改めて気づき、予定していた外出をやめてPCを閉じ、深い腹式呼吸をゆっくりと繰り返した。全身が楽になったのはそれから徐々にである。
思い起こしたのがこの本。「青い鳥」の著者でもあるモーリス・メーテルリンクによる著作。原題は "L'INTELLIGENCE DES FLEURS" 。1992年の日本語翻訳本「花の知恵」発刊直後に入手した。時間をかけて愛読したのだろう。表紙上端の反り方と付箋代わりに折り目のついたページから、今も私がこの本を記憶していた意味を感じた。

魅かれるものがあればそれについて知りたくなる。
花とは何か。
著者は冒頭の最初の段落の最後でこう述べている。
「…花には、光の方へ、精神の方へ向かおうとする植物の生命の努力が結集されているのである。」
植物は動物のように自由には動けない。しかしいつの間にか蕾は膨らみ、花は咲く。枯れても翌年の同じ頃芽吹く。だからこそ、人はその秘密に魅かれ、些細な変化もつぶさに観察したくなるのかもしれない。
多種多様な花が咲き誇る南仏の地で暮らした著者は、その緻密な観察に基づく花の視覚的魅力だけではなく、香りについても次のように述べている。
「…しかし、この地で何よりも強い印象を与えるのは、バラとジャスミンの季節の晩や朝であろう。地上の大気が瞬く間に限りなく幸福な惑星の大気に一変してしまったのだろうか、…」
事実、このような香りの魅力のとりこになった人間は現代に至ってもせっせとバラやジャスミンを育て、増やし続けようとしている。あたかもその種が途絶えないように手助けをするかのごとく。
著者のメーテルリンクがノーベル文学賞を受賞したのは1911年。その翌年にこの本がパリで出版されている。今からおよそ100年前。30節から成る全文の最後の章が "LES PARFUMS" (香り)であり、その中で「未踏査の世界である」と前置きした上で、人間の嗅覚について「できるかぎりじっくり考察してみれば、おそらくは人間の有機体組織にもっとも深く染み込んでいる感覚なのだろう」と述べられていた。
工作舎の書籍解説ページはこちら。
疲労がピークに達した昨日、バラの花の香りで身体が楽になるのを感じた。正確に言えば、香りを嗅いで即座に楽になったのではない。まず自分がひどく疲れていることに改めて気づき、予定していた外出をやめてPCを閉じ、深い腹式呼吸をゆっくりと繰り返した。全身が楽になったのはそれから徐々にである。
思い起こしたのがこの本。「青い鳥」の著者でもあるモーリス・メーテルリンクによる著作。原題は "L'INTELLIGENCE DES FLEURS" 。1992年の日本語翻訳本「花の知恵」発刊直後に入手した。時間をかけて愛読したのだろう。表紙上端の反り方と付箋代わりに折り目のついたページから、今も私がこの本を記憶していた意味を感じた。

魅かれるものがあればそれについて知りたくなる。
花とは何か。
著者は冒頭の最初の段落の最後でこう述べている。
「…花には、光の方へ、精神の方へ向かおうとする植物の生命の努力が結集されているのである。」
植物は動物のように自由には動けない。しかしいつの間にか蕾は膨らみ、花は咲く。枯れても翌年の同じ頃芽吹く。だからこそ、人はその秘密に魅かれ、些細な変化もつぶさに観察したくなるのかもしれない。
多種多様な花が咲き誇る南仏の地で暮らした著者は、その緻密な観察に基づく花の視覚的魅力だけではなく、香りについても次のように述べている。
「…しかし、この地で何よりも強い印象を与えるのは、バラとジャスミンの季節の晩や朝であろう。地上の大気が瞬く間に限りなく幸福な惑星の大気に一変してしまったのだろうか、…」
事実、このような香りの魅力のとりこになった人間は現代に至ってもせっせとバラやジャスミンを育て、増やし続けようとしている。あたかもその種が途絶えないように手助けをするかのごとく。
著者のメーテルリンクがノーベル文学賞を受賞したのは1911年。その翌年にこの本がパリで出版されている。今からおよそ100年前。30節から成る全文の最後の章が "LES PARFUMS" (香り)であり、その中で「未踏査の世界である」と前置きした上で、人間の嗅覚について「できるかぎりじっくり考察してみれば、おそらくは人間の有機体組織にもっとも深く染み込んでいる感覚なのだろう」と述べられていた。
工作舎の書籍解説ページはこちら。
2011年3月16日水曜日
花に魅かれて…たとえば、薔薇と蘭
早春の散歩道。桜?
開花している花に出会い、一瞬心が和み、華やぎました。
年中花は見られるとはいうものの、この春という季節は、何か命の再生というか、花を印象的にとらえる特別な季節のようにも思います。
花というのは、考えてみれば植物が実を結ぶための舞台です。
これが目に見えるということは、ひときわ強い生命力そのものを見ていることになるのではないか。そしてその香りは、花がその種(しゅ)を繋ぐべく、自らの生殖機能をまっとうするための防御と誘引のサインではないか。…ふと連想。
好きな花を尋ねられたら私は迷うでしょう。しかしながら、これまでの自分の行動を振り返ると2種類の花、薔薇と蘭が浮かびます。
まずはその香りに魅かれた薔薇。ダマスクローズ。はるばる産地ブルガリアにまで出掛けて、現在「パレチカ」というブランドを監修しています。
そしてその形に魅かれた蘭。胡蝶蘭。雪のような白さと凛とした形。かつて自らが着ることになるウェディングドレスを、この花をモチーフにデザインして欲しいとデザイナーに依頼したのでした。
どちらの花に関しても、魅了された時点では、それぞれ詳細の知識を持ってはいませんでした。後に調べてわかったのは、ダマスクローズの天然香料は「香りの女王」と呼ばれ世界的にも貴重かつ重要な香料であること、一方で蘭は、単子葉植物の中で最も形態が進化した植物であるということでした。2月に開催された「世界らん展日本大賞」サイト中の説明から学んだことです。形態が進化したとは?きわめて効率良く受粉できるような無駄のない形なのだとか。
生き抜くための知恵。その結果としての香りと形なのだとしたら…
この季節こそ、花は人に元気を与えてくれるはず。
開花している花に出会い、一瞬心が和み、華やぎました。
年中花は見られるとはいうものの、この春という季節は、何か命の再生というか、花を印象的にとらえる特別な季節のようにも思います。
花というのは、考えてみれば植物が実を結ぶための舞台です。
これが目に見えるということは、ひときわ強い生命力そのものを見ていることになるのではないか。そしてその香りは、花がその種(しゅ)を繋ぐべく、自らの生殖機能をまっとうするための防御と誘引のサインではないか。…ふと連想。
好きな花を尋ねられたら私は迷うでしょう。しかしながら、これまでの自分の行動を振り返ると2種類の花、薔薇と蘭が浮かびます。
まずはその香りに魅かれた薔薇。ダマスクローズ。はるばる産地ブルガリアにまで出掛けて、現在「パレチカ」というブランドを監修しています。
そしてその形に魅かれた蘭。胡蝶蘭。雪のような白さと凛とした形。かつて自らが着ることになるウェディングドレスを、この花をモチーフにデザインして欲しいとデザイナーに依頼したのでした。
どちらの花に関しても、魅了された時点では、それぞれ詳細の知識を持ってはいませんでした。後に調べてわかったのは、ダマスクローズの天然香料は「香りの女王」と呼ばれ世界的にも貴重かつ重要な香料であること、一方で蘭は、単子葉植物の中で最も形態が進化した植物であるということでした。2月に開催された「世界らん展日本大賞」サイト中の説明から学んだことです。形態が進化したとは?きわめて効率良く受粉できるような無駄のない形なのだとか。
生き抜くための知恵。その結果としての香りと形なのだとしたら…
この季節こそ、花は人に元気を与えてくれるはず。
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