今月受けた二つの質問に対してお答えしてみようと思います。
1,精神的に落ち込んで体調にも影響が出ている大切な人に、香りで何かしてあげられないか。(その人Aさんは質問者の近くにはおらず遠く離れている。)
香り自体はリラックスやリフレッシュなど、心地よい感触を与えることができるものです。元来香りを愛好する習慣のある人であれば、好みをきいてアレンジすることできるかもしれません。
しかしながら、Aさんが香りに親しむことが好きであるかどうか、色々な種類や強さの香りを否定的にだけでなく肯定的に感受できた体験をもつかどうかにもよります。あまり乗り気でないのに押し付けられたような感覚をもたれると逆効果となることもあるでしょう。
そのような場合、「香りを故意に使う」ということを知らせずにさりげなく微弱に空間を香らせ、「なんとなくいい香りがするね」「なんだか気分がいいね」とまず香りで肯定的な体験をしていただくことができると、もっと積極的に楽しもうというきっかけになるかもしれません。
Aさんと同居されている人にさりげなくAさんのにおいに対する好みを聞き出し、好みに近い香りの精油を1%程度に無水エタノールと精製水で希釈したエアフレッシュナーを送ります。それを玄関やAさんの寝室などにスプレーして頂き、ほのかに香らせて反応を観察してみることからトライするのもいいかもしれません。
ただ、香りを用いること以前に不可欠なことがあります。Aさんを大切に思う気持ちをまめに言葉と態度で伝え、できるだけ受け身でAさんの話の聞き役となりすこしでも安心して頂くことです。これは、実際に香りを用いてリラクセーションを提供するアロマセラピストの基本的な心得の一つでもあります。
2,加齢臭が気になる年齢ですが、対策はないのでしょうか。
質問された方のお悩みがいわゆる加齢臭であるのかどうかについて、私には厳密に判別できませんので、体臭対応としてお答えします。
皮脂が酸化したにおいを防ぐには、分泌された皮脂を長時間放置しないことが先決であると私は考えます。洗い流す、消臭効果のあるもので拭き取るなど。まめにシャワーや入浴で身体を清潔にし、常に(汗ジミのない)清潔な衣類を身に付けるようにします。特に皮脂分泌の多い頭皮、顔、脇の下、耳まわりから首、背中にかけては勿論、常に汗をかく足は指の間まで良く洗います。無香よりもほのかに微香のある石鹸やシャンプーを使ったほうが洗ったときのリフレッシュ感が違います。自分でもニオイが気になるようであれば、一日の活動を終えた夜だけでなく、一晩の発汗も考慮して朝もシャワーで洗うと良いですね。(夏は必須)
それでも気になるようであれば、銀イオンの殺菌消臭効果を用いた制汗剤なども効果があるようなので試してみると良いでしょう。
なお、上記は一般論としての回答です。厳密に言えば個々でにおいの感じ方、体質、食生活、ライフスタイルが異なります。その上で何が実際に気になるのか、単に予防したいのか、既に困っているのかなどを確認してはじめてそれぞれのケースにふさわしい方向性が示せるのではないかと思われます。
2011年3月31日木曜日
調香師の訓練が示すもの・嗅覚の大切さ
MODE PRESS 2011,3,25『調香師の「飛び抜けた嗅覚」は訓練の賜物、 仏研究』 を非常に興味深く読む。改めて嗅覚を鍛えることの面白さと意義を感じさせる。
特に記事の5段落目。脳内スキャン観察の結果わかったという内容が興味深い。
「…訓練を続けるうちに、嗅覚を機能させる脳内活動が、意識的な活動をつかさどる部分から、呼吸や嚥下など自動的身体機能をつかさどる領域に徐々に移動していくことも明らかになった。」
調香師ではないが、私自身にも確かに思い当たることがある。
20代以降香水やアロマテラピーの仕事に関わる中で日常的に香料を嗅ぐ機会が増えたことによりそれ以前に比較して幾つかの変化を感じていた。列記する。
1.体調を以前より自覚して行動できるようになった。(過労で倒れる前に休む)
2,その時毎に身体が求める食事と量が感じられるようになった。(必要以上に食べない。食べたくなったものがその時の身体に必要な栄養素であることが多い)
3,自分が好感をおぼえるものに対してと、避けたくなるものに対しての反応や行動に迷いがなくなった。(そういう感覚が感情に左右されることにも気付いた)
さらに私は大学講義の中で、ファッションを専攻する学生に様々な香料を嗅ぐ体験を背景に香りのイメージを視覚化表現する課題を課しているが、毎年学生からは「最初は難しいと感じたが、取り組んでいくうちに面白くなって最終的にとても楽しい経験になったと思う。またこういう取り組みをしたい。」と言われる。表現者として刺激になったという声が多い。昨年プロのピアニストに香りを音楽表現していただくコンサートを実施した時も、ピアニスト自身から「この試みの中で、頭の中で眠っているある部分を起こされたような感覚を覚えました」とコメントをいただいている。
現代の人間にとって情報といえば圧倒的に視覚、聴覚からのものが多いが、その他の感覚をもっと使用し、鍛えることにより開ける未来があるのではないか。今後もさらに科学的な研究が進むことを期待したい。
特に記事の5段落目。脳内スキャン観察の結果わかったという内容が興味深い。
「…訓練を続けるうちに、嗅覚を機能させる脳内活動が、意識的な活動をつかさどる部分から、呼吸や嚥下など自動的身体機能をつかさどる領域に徐々に移動していくことも明らかになった。」
調香師ではないが、私自身にも確かに思い当たることがある。
20代以降香水やアロマテラピーの仕事に関わる中で日常的に香料を嗅ぐ機会が増えたことによりそれ以前に比較して幾つかの変化を感じていた。列記する。
1.体調を以前より自覚して行動できるようになった。(過労で倒れる前に休む)
2,その時毎に身体が求める食事と量が感じられるようになった。(必要以上に食べない。食べたくなったものがその時の身体に必要な栄養素であることが多い)
3,自分が好感をおぼえるものに対してと、避けたくなるものに対しての反応や行動に迷いがなくなった。(そういう感覚が感情に左右されることにも気付いた)
さらに私は大学講義の中で、ファッションを専攻する学生に様々な香料を嗅ぐ体験を背景に香りのイメージを視覚化表現する課題を課しているが、毎年学生からは「最初は難しいと感じたが、取り組んでいくうちに面白くなって最終的にとても楽しい経験になったと思う。またこういう取り組みをしたい。」と言われる。表現者として刺激になったという声が多い。昨年プロのピアニストに香りを音楽表現していただくコンサートを実施した時も、ピアニスト自身から「この試みの中で、頭の中で眠っているある部分を起こされたような感覚を覚えました」とコメントをいただいている。
現代の人間にとって情報といえば圧倒的に視覚、聴覚からのものが多いが、その他の感覚をもっと使用し、鍛えることにより開ける未来があるのではないか。今後もさらに科学的な研究が進むことを期待したい。
2011年3月30日水曜日
レモンの香り(親・清・明)
レモン。食の場面のどこかで必ず出会う親しみあふれる柑橘。この香りを想像しただけでも私は元気になれるような気がします。私のレモンの香りの印象を漢字で表すと、親(親しみ)・清(フレッシュ)・明(明るい元気の素)でしょうか。
揮発が早く軽く、香水のトップノートにも使われる香りです。
レモンといえば私が真っ先に思い浮かべるのが「香りを良くして美味しくする」ためのものであること。ジャム作りはもちろん、梨や酸味の少ない林檎、サツマイモを美味しく煮るときに欠かせません。さらに「フレッシュな状態を保つ」ためのもの。剥いた林檎が変色しないように一絞り。フライや焼き魚に一絞り。手で魚を食した人のためのフィンガーボウル。そして元気な明るさの象徴でもあります。レモンと蜂蜜といえば、疲れを癒すスタミナ補給源として愛用したものです。
実際、この親しみという印象は安心感をもたらします。アロマテラピー初心者の多くはレモン精油にはまず好感を持つようです。初めて精油という濃厚な香料原液に出会う人にとって、レモン精油(果皮から圧搾されて得られる)は、かぎなれている親しみから好感と信頼がもてるという声をよくききます。
フレッシュで明るい印象も気持ちの切り替えに役立ちます。眠気が覚めた、集中力がアップしたなどとよく言われます。同じ場所にいても気分が明るく切り替えられるならこんなにいいことはありません。
私が強く印象に残っているのは、心臓病で苦しむ余命わずかな90代の祖母が迷わず好きと選んだのがこのレモン精油であったこと。常にいつ襲われるかしれない心臓発作に怯え、できるものなら早く逝きたい、とばかり呟いていた中、私が紹介した数本の精油の中でレモンの香りを選びました。「すうっとして一時不安も忘れていい気分になれるね」。以後毎朝素焼きの皿に数滴垂らして、揮発するレモンの香りを楽しみ、穏やかな時間を過ごせたということでした。
非常時に必ず持っていきたい精油の一つにレモンを加えたいと思う今日この頃です。私自身も妊娠初期のつわりの時期はこの香りに救われたものです。身体が選んだ香りのことは忘れません。
揮発が早く軽く、香水のトップノートにも使われる香りです。
レモンといえば私が真っ先に思い浮かべるのが「香りを良くして美味しくする」ためのものであること。ジャム作りはもちろん、梨や酸味の少ない林檎、サツマイモを美味しく煮るときに欠かせません。さらに「フレッシュな状態を保つ」ためのもの。剥いた林檎が変色しないように一絞り。フライや焼き魚に一絞り。手で魚を食した人のためのフィンガーボウル。そして元気な明るさの象徴でもあります。レモンと蜂蜜といえば、疲れを癒すスタミナ補給源として愛用したものです。
実際、この親しみという印象は安心感をもたらします。アロマテラピー初心者の多くはレモン精油にはまず好感を持つようです。初めて精油という濃厚な香料原液に出会う人にとって、レモン精油(果皮から圧搾されて得られる)は、かぎなれている親しみから好感と信頼がもてるという声をよくききます。
フレッシュで明るい印象も気持ちの切り替えに役立ちます。眠気が覚めた、集中力がアップしたなどとよく言われます。同じ場所にいても気分が明るく切り替えられるならこんなにいいことはありません。
私が強く印象に残っているのは、心臓病で苦しむ余命わずかな90代の祖母が迷わず好きと選んだのがこのレモン精油であったこと。常にいつ襲われるかしれない心臓発作に怯え、できるものなら早く逝きたい、とばかり呟いていた中、私が紹介した数本の精油の中でレモンの香りを選びました。「すうっとして一時不安も忘れていい気分になれるね」。以後毎朝素焼きの皿に数滴垂らして、揮発するレモンの香りを楽しみ、穏やかな時間を過ごせたということでした。
非常時に必ず持っていきたい精油の一つにレモンを加えたいと思う今日この頃です。私自身も妊娠初期のつわりの時期はこの香りに救われたものです。身体が選んだ香りのことは忘れません。
2011年3月29日火曜日
可能性は0と100の間に
情報の質を見極める眼力を身につけることの大切さをこの記事から改めて思う。【JB PRESS】2009,12,17の記事である。タイトルは
『日本人の「国産」「天然物」信仰はスキだらけ』。
4p目の内容から、私がアロマテラピーを学んだ頃に考えたことを振り返ってみた。薬事法で定められたもののみが「効能」をうたえるというくだり、私はアロマテラピーを勉強し始めた頃真っ先に学んだ。日本で誤解なく健全にアロマテラピーを普及させたいと願った国内の先駆的研究者の方々の配慮のおかげであると感謝している。
伝承的な背景から健康に役立つ可能性が天然精油にあるとしても、現在の日本の法律が認める医薬品と同じような扱いはできない。天然精油は医薬品とは法律上の基準が異なるために異なるカテゴリーに入れられることも理解した。だからといって無価値な訳ではない。役立つ可能性があるからこそ、実践と研究が続けられている。
私はこのようなデリケートな分野に携わる中、わかっていると思えることの中にも誤解があるかもしれない可能性と、わからないと思っていることの中にもいつかは理解できるかもしれない可能性を想定しながら、アロマテラピーを実践している。
そもそも香水が好きだった私は、身につけているだけで気分が上がり、悲しい思いをした時期にも随分気分がまぎれ救われた思いがした経験をもつ。香りはこんなに素敵なものなのに、日本の中で香水に抵抗を示す人も多く残念。そんなときに目に飛び込んできたアロマテラピーという考え方。もっと香りの有用性を勉強したいと思い、まずこの分野で日本で発行されている本を読んだ。
チャンスが訪れた。イギリス留学でアロマテラピーを学んだ方々や医師の研究会を聴講させていただく機会を得たのは1995年の事だったと思う。体質や感受性の観点から欧州流の方式をそのまま日本で普及させるのは難しいということゆえ、日本に合った形式を考え作っていかなければという皆さんの真剣な熱意を感じたことを憶えている。このメンバーの中には、後に社団法人日本アロマ環境協会名誉会長となられた医学博士の鳥居鎮夫氏の姿もあった。
その会の中核にいらした先生のもとでアロマテラピーを学んだあと、様々な疑問について考えるにあたり、英語圏からの専門書を取り寄せて読んだりもした。複数の研究者の著書を読むことから、わかっていることと、わかっていないこととを区別する訓練となった。
数学の教師だった母は「世の中に『絶対』なんてことはないし、気軽に言うものではない」と事あるごとに言っていた。母は他人の話を鵜呑みにせず、いつも自分でも調べてから判断しようとしていた。その性格が強く出たのは、父が突然倒れたときの医師の診断への対応。一人の医師の判断を「可能性の一つ」と捉えて納得いくまで調べた結果、父は今も生きている。
可能性はよくパーセント(百分率)で示される。「絶対」という言葉は、0または100という数字の設定のためにあるのかもしれない。この二つの数字の間に現実の可能性がある。情報が氾濫する中で、その意味と読み方を深く考えていきたいと思う。
『日本人の「国産」「天然物」信仰はスキだらけ』。
4p目の内容から、私がアロマテラピーを学んだ頃に考えたことを振り返ってみた。薬事法で定められたもののみが「効能」をうたえるというくだり、私はアロマテラピーを勉強し始めた頃真っ先に学んだ。日本で誤解なく健全にアロマテラピーを普及させたいと願った国内の先駆的研究者の方々の配慮のおかげであると感謝している。
伝承的な背景から健康に役立つ可能性が天然精油にあるとしても、現在の日本の法律が認める医薬品と同じような扱いはできない。天然精油は医薬品とは法律上の基準が異なるために異なるカテゴリーに入れられることも理解した。だからといって無価値な訳ではない。役立つ可能性があるからこそ、実践と研究が続けられている。
私はこのようなデリケートな分野に携わる中、わかっていると思えることの中にも誤解があるかもしれない可能性と、わからないと思っていることの中にもいつかは理解できるかもしれない可能性を想定しながら、アロマテラピーを実践している。
そもそも香水が好きだった私は、身につけているだけで気分が上がり、悲しい思いをした時期にも随分気分がまぎれ救われた思いがした経験をもつ。香りはこんなに素敵なものなのに、日本の中で香水に抵抗を示す人も多く残念。そんなときに目に飛び込んできたアロマテラピーという考え方。もっと香りの有用性を勉強したいと思い、まずこの分野で日本で発行されている本を読んだ。
チャンスが訪れた。イギリス留学でアロマテラピーを学んだ方々や医師の研究会を聴講させていただく機会を得たのは1995年の事だったと思う。体質や感受性の観点から欧州流の方式をそのまま日本で普及させるのは難しいということゆえ、日本に合った形式を考え作っていかなければという皆さんの真剣な熱意を感じたことを憶えている。このメンバーの中には、後に社団法人日本アロマ環境協会名誉会長となられた医学博士の鳥居鎮夫氏の姿もあった。
その会の中核にいらした先生のもとでアロマテラピーを学んだあと、様々な疑問について考えるにあたり、英語圏からの専門書を取り寄せて読んだりもした。複数の研究者の著書を読むことから、わかっていることと、わかっていないこととを区別する訓練となった。
数学の教師だった母は「世の中に『絶対』なんてことはないし、気軽に言うものではない」と事あるごとに言っていた。母は他人の話を鵜呑みにせず、いつも自分でも調べてから判断しようとしていた。その性格が強く出たのは、父が突然倒れたときの医師の診断への対応。一人の医師の判断を「可能性の一つ」と捉えて納得いくまで調べた結果、父は今も生きている。
可能性はよくパーセント(百分率)で示される。「絶対」という言葉は、0または100という数字の設定のためにあるのかもしれない。この二つの数字の間に現実の可能性がある。情報が氾濫する中で、その意味と読み方を深く考えていきたいと思う。
2011年3月27日日曜日
青いパパイヤの香り(l'odeur de la papaye verte)・1993
東南アジアから帰国した知人がベトナム料理の美味しさを語っていました。思い起こしたのがこの映画、青いパパイヤの香り(原題:l'odeur de la papaye verte 1993年 フランス・ベトナム合作映画)。ベトナムで生まれ、12才でフランスに移り住んだトラン・アン・ユン監督31才の時の作品です。
私が映画館で鑑賞したのは1994年8月。当時の香りの専門誌PARFUM夏号(90号)で紹介され、公開を楽しみにしていました。大変な人気で、映画館でも長い列に並んでようやく観られたことを憶えています。…とある土地で人は人と共に暮らし、食事を用意し、変化する中で淡々と生きていく…今も昔も変わらぬ人の営みの中にはこんなにも輝きがあります。そんなふうに感じたのは私だけではないでしょう。
匂いを感じさせてくれた映画として、私には忘れられない作品の一つです。視覚から感じた匂い、人の感情のあれこれは17年経った今でも瑞々しく心に響いてきます。映画パンフレット表紙にも使われている、この緑陰にたたずむ少女の眼差しに魅かれ、私はこのポストカードをその後何年も飾っていました。

淡々とたたみかけるように流れる映像。熟した黄色いパパイヤしか知らなかった私は、薄緑の青々としたパパイヤがもがれ、洗われ、皮を剥かれたときに現れる純白の真珠のような粒々の種をみて目を奪われました。ヒロインも同じように驚いたのでしょう。素敵なものとの思いがけない出会いの瞬間が丁寧に描かれ、無駄なセリフもなくゆっくりと心に染みていきます。
…
淡い緑の皮の中、真っ白な中身が刻まれて料理になるパパイヤ。
庭にしゃがんで、地を歩むアリを見つめる少女の瞳の輝き。
成長した少女が月明かりを受けながら静かに洗う長い黒髪。
黒いピアノを前に作曲家の若い男性が着ている白のシャツ。
誰もいないはずの場所でこっそり赤のドレスを着て鏡を見るヒロイン。
…
今も大切に保管してある映画パンフレット(発行:シネマスクエアとうきゅう)には、この映画が受けた三つの栄誉が記されています。
1993年カンヌ国際映画祭カメラドール(新人監督賞)受賞
1994年セザール賞新人監督賞受賞
1994年アカデミー賞外国語映画賞ノミネート
私が映画館で鑑賞したのは1994年8月。当時の香りの専門誌PARFUM夏号(90号)で紹介され、公開を楽しみにしていました。大変な人気で、映画館でも長い列に並んでようやく観られたことを憶えています。…とある土地で人は人と共に暮らし、食事を用意し、変化する中で淡々と生きていく…今も昔も変わらぬ人の営みの中にはこんなにも輝きがあります。そんなふうに感じたのは私だけではないでしょう。
匂いを感じさせてくれた映画として、私には忘れられない作品の一つです。視覚から感じた匂い、人の感情のあれこれは17年経った今でも瑞々しく心に響いてきます。映画パンフレット表紙にも使われている、この緑陰にたたずむ少女の眼差しに魅かれ、私はこのポストカードをその後何年も飾っていました。

淡々とたたみかけるように流れる映像。熟した黄色いパパイヤしか知らなかった私は、薄緑の青々としたパパイヤがもがれ、洗われ、皮を剥かれたときに現れる純白の真珠のような粒々の種をみて目を奪われました。ヒロインも同じように驚いたのでしょう。素敵なものとの思いがけない出会いの瞬間が丁寧に描かれ、無駄なセリフもなくゆっくりと心に染みていきます。
…
淡い緑の皮の中、真っ白な中身が刻まれて料理になるパパイヤ。
庭にしゃがんで、地を歩むアリを見つめる少女の瞳の輝き。
成長した少女が月明かりを受けながら静かに洗う長い黒髪。
黒いピアノを前に作曲家の若い男性が着ている白のシャツ。
誰もいないはずの場所でこっそり赤のドレスを着て鏡を見るヒロイン。
…
今も大切に保管してある映画パンフレット(発行:シネマスクエアとうきゅう)には、この映画が受けた三つの栄誉が記されています。
1993年カンヌ国際映画祭カメラドール(新人監督賞)受賞
1994年セザール賞新人監督賞受賞
1994年アカデミー賞外国語映画賞ノミネート
2011年3月23日水曜日
PARFUM春号(157号)発刊
香りの専門誌"PARFUM"春号(157号)が発刊され、本日私の元に届きました。最新号とともに、編集長から丁寧な書状が添えられています。「…30年以上も無事に本誌を出版出来ることは関係者各位さまのご協力の賜物といつも感謝しております。…」今年も春の訪れとともに香り情報満載のこの冊子を手にすることができて、私自身も嬉しく思います。

今回の春号では、4/7から東京藝術大学大学美術館にて開催される[かぐわしき名宝・香り展]について見開き2ページに渡って紹介されています。さらに新連載[時代をリードした香り美人とファッション]が始まりました。春は特に香りの新商品が多い季節でもありますが今回も華やかです。サルバトーレ・フェラガモ インカント・ブルームから3月に発売されたばかりのソリッドパフュームについてのインタビュー記事も興味深いですし、スワロフスキーの香りや、ニコライ・バーグマン(フラワーデザイナー)による花の香りのデビューも嬉しいニュース。
春は新年度の始まり。香りが新しい出逢いを運んでくれますように。

今回の春号では、4/7から東京藝術大学大学美術館にて開催される[かぐわしき名宝・香り展]について見開き2ページに渡って紹介されています。さらに新連載[時代をリードした香り美人とファッション]が始まりました。春は特に香りの新商品が多い季節でもありますが今回も華やかです。サルバトーレ・フェラガモ インカント・ブルームから3月に発売されたばかりのソリッドパフュームについてのインタビュー記事も興味深いですし、スワロフスキーの香りや、ニコライ・バーグマン(フラワーデザイナー)による花の香りのデビューも嬉しいニュース。
春は新年度の始まり。香りが新しい出逢いを運んでくれますように。
2011年3月22日火曜日
自然は自然の中で
今回の災害で、少なくとも同じ日本に住んでいて、何の影響も受けなかったという人はいないのではないかと思う。広く言えば、同じ地球上の生物全てに影響を与えているもの、と私は感じる。
震源の近くで直接的ダメージを受けた人、遠くにいても不安にさいなまれた人、不安によって錯綜する情報で混乱する人、時勢の空気が一変したことにより順調になりかけた商談が破談あるいは延期になってしまった人、楽しみにしていた予定が中止、延期になってしまった人…。それぞれ内容や事情は違っても、地球上に生きている限り皆被災者。
だからTwitterでつぶやかれていることが何であろうといちいち過剰反応しない。そもそもタイムライン上には自分がフォローした人たちの「今」がそこにある。一人の人間がいつも冷静な、あるいは良い気分でいられるだろうか。ましてや非常時に。飾り気なく「今」の気分が書かれているとしたらお互い様。そこに緻密な信憑性や専門性を求めて目くじらをたてるより、「今この時、いろんな感情がうずまいている」とただ受け流す。発信側にも気分があるように受信側にもその時々の気分がある。昨日は気にならなかったことが今日は気になる。そのような気分を自覚したらそのような自分を素直に受け入れて、「疲れているのかも」と眠りに入るもよし。良い香りのお茶を頂くもよし。別のことに着手するもよし。ちょっと元気になったら、疑問に感じたことを自分なりに調べてみればいいだけだ。それを機に勉強するもよし。
先日読み返した「花の知恵」からも感じたが、自然環境というものに絶対の安全、安心などはなく、その中でなんとか生き延びようとする自然生命体は予期せぬ苦難にもめげない。ちょっと植物の気持ちになってみよう…自分も自然なのだから、自然環境の中で生きる自分という自然をまず受け入れる。全身で反応しながら試行錯誤を繰り返し、「生き」て種を繋ごうとする。花の工夫の数々は、まるで人がさまざまな科学技術を駆使して現代文明を築き、繁栄しようとする姿と重なる。
考えても調べても何も確かなことはわからない。そう思ったら深呼吸して自分の感覚や感情に問う。わかるのはその今の気分。身体の声を聞くことにする。地球が自然なら人も自然。自分という自然も予測不可能なのだから、せめて「今」の自分くらいは自覚しておきたい。
震源の近くで直接的ダメージを受けた人、遠くにいても不安にさいなまれた人、不安によって錯綜する情報で混乱する人、時勢の空気が一変したことにより順調になりかけた商談が破談あるいは延期になってしまった人、楽しみにしていた予定が中止、延期になってしまった人…。それぞれ内容や事情は違っても、地球上に生きている限り皆被災者。
だからTwitterでつぶやかれていることが何であろうといちいち過剰反応しない。そもそもタイムライン上には自分がフォローした人たちの「今」がそこにある。一人の人間がいつも冷静な、あるいは良い気分でいられるだろうか。ましてや非常時に。飾り気なく「今」の気分が書かれているとしたらお互い様。そこに緻密な信憑性や専門性を求めて目くじらをたてるより、「今この時、いろんな感情がうずまいている」とただ受け流す。発信側にも気分があるように受信側にもその時々の気分がある。昨日は気にならなかったことが今日は気になる。そのような気分を自覚したらそのような自分を素直に受け入れて、「疲れているのかも」と眠りに入るもよし。良い香りのお茶を頂くもよし。別のことに着手するもよし。ちょっと元気になったら、疑問に感じたことを自分なりに調べてみればいいだけだ。それを機に勉強するもよし。
先日読み返した「花の知恵」からも感じたが、自然環境というものに絶対の安全、安心などはなく、その中でなんとか生き延びようとする自然生命体は予期せぬ苦難にもめげない。ちょっと植物の気持ちになってみよう…自分も自然なのだから、自然環境の中で生きる自分という自然をまず受け入れる。全身で反応しながら試行錯誤を繰り返し、「生き」て種を繋ごうとする。花の工夫の数々は、まるで人がさまざまな科学技術を駆使して現代文明を築き、繁栄しようとする姿と重なる。
考えても調べても何も確かなことはわからない。そう思ったら深呼吸して自分の感覚や感情に問う。わかるのはその今の気分。身体の声を聞くことにする。地球が自然なら人も自然。自分という自然も予測不可能なのだから、せめて「今」の自分くらいは自覚しておきたい。
登録:
投稿 (Atom)