かつ、現在は大学で「香り」を題材に学生に「表現」を指導しています。
その立場から
ほとんど脚本さえ生まれて初めて書いたであろう大学生たちが昨秋から懸命に制作してきた映画の上映会を鑑賞してきました。
こういう機会は新鮮で貴重です。
望月六郎の熱血映画塾上映会。
「49(Yon-Kyu)」は20分、「GARDEN」は10分、「ノックアウト」は22分。
それぞれを鑑賞して感じたままを
フレグランスの香りの3ノート、
すなわちトップ(第一印象)→ミドル(本編)→ラスト(余韻)に見立てて
言葉で表現しておこうと思います。
1,「49(Yon-Kyu)」
よくあるシーンの親しみ深さ
→
えーっどうなるのどうなるの、ビックリだけど……そういえばあなた誰?えーっそんな秘密があったの?いよいよセツナイね、さてどうするの?えーっリアルに生きてたときより生きてるじゃないの、ハラハラだね、あっ、…。
→
あんなこと起きないと気づけないことって確かにある、ある…
この数字…………
かつてのアレもコレももしかしてソウいうこと?
そうか見えないチカラにまもられていたのかも…
主人公のセリフ、声とともに焼き付いています。
生きてることを当たり前のように思ったり
今日会えてる大切な人とまた明日も会えるからって
大事なアクションを先延ばしにしちゃいけないと改めて感じました。
2,「GARDEN」
綺麗な「絵」を撮ろうと狙ってますね
あ、セリフの肉声は無いのね、ヴィジュアル強調?
→
現実なのか想像なのか、そんなことワカラナイけど、なんだかコノヒト必死にナニカ求めてるね、それにしてはBGMずっとこの調子のままなのかな、文字書かれてると読んじゃって考えちゃうなあ。もっと感じたかったんだけど。
→
「絵」はいくつか記憶に残りました。
美化、そういう人の欲望の本質てなんだろうか。
美。人の感じ方の数だけある。
3,「ノックアウト」
もしかして主人公が大切にしてるモノ?場所?
これがノックアウトの原因、って後で理解できそうな予感。
→
ああよくある二人。関係性。そこに味のあるオジサン、このヒトいいね。
え!そうくるの?オモシロイけどそこまでやるのは痛すぎる、けどそういう世界もあったのね、すっかりトリコ。でもそれで解決できる?ちょっと間延び?ちょっと登場人物同士で予定調和?
→
なんだか笑ったことは笑ったけど、むなしい。
人間の熟したオジサンは良かったです。
というわけで
「早く先をみたい気持ちのまま終わった」
「えーっという意外性のリアルさ」
と余韻の深さで帰りの電車で涙した作品は1でした。
改めて脚本の重要性を痛感。
総評の冒頭で望月監督のおっしゃった
「自分の限界をまず知り、それと立ち向かうことからはじまる」
ということを体現できた学生たちは幸運ですね。
クリエイションというものはそういうものです。共感します。
改めて、かつて自分が10代の頃に鑑賞した映画で感じたことを
コチラを読み返しながら思い起こしています。
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