2013年4月6日土曜日

『カフカと映画』/ペーター=アンドレ・アルト 著 瀬川裕司 訳(白水社)を読む

「映画がなければ カフカは生まれなかった」




このフレーズに魅かれただけで
「映画」の影響力を自分の記憶に重ねて読みたくなった。

この本に書かれていたことのほとんどが
私にとっては未知の世界だった。
数多くの映画作品名、文学作品名、人名、そして地名。

この本を読む前に私が知っていたことといえば
カフカが
今も世に広く語り継がれる文学作品を残した人物であり
その彼の生きた時代はちょうど
フランスのリュミエール兄弟が動画技術を開発し
「映画」が世に現れた頃と重なるということだけ。
しかし、この接点こそが重要だった。

知っているからではなく
一点の好奇心から波紋のように拡がる興味と視野に
期待しながら本を読んでもいいと思う。
良書との出逢いとは
そういうものではないだろうか。

「映画」という表現手段。
これに大きな興味を持ち
これが人の知覚にどんな影響をもたらすか。
そんな好奇心の強い私には
本文の中に共感できる記述は多くみられた。

たとえば
「第一章 動くイメージの美学」より
本文p20中の次の文章には、映画表現の本質が記されている。
…カフカがとりわけ関心を寄せたのは、映画の映像の力動的な配列と連続化の技術である。彼は日記に、映画というメディアが人々が見慣れている出来事を加速化し、異様なものに変えることによって生み出す新たな運動の芸術を、きわめて的確に記録する。…

力動的な配列と連続化の技術。
これは、現実世界では見えないはずのものを見せてしまう。
あるいは、見逃していたものに気づかされる。
かつて見た映画の中でどうしても忘れられないシーンがあるとしたら
それはこうした技術の賜物に違いない。

『カフカと映画』/ペーター=アンドレ・アルト 著 瀬川裕司 訳(白水社 刊)


0 件のコメント:

コメントを投稿