2012年5月4日金曜日

正解は本音のなかにあるかも・ファッション誌を振り返る

教えられるよりもまずは感じたい。
何かに強く魅かれるような感じ方をして初めて私は知識を求め、師を探し学び深めてきたと思う。そのプロセスで得てきたものを糧に生きている。

今朝、服飾史家の中野香織さんによるブログ記事
ファッション誌は「聖書」!? を拝読。中野さんが記事のタイトルにつけられた、!と ? の気持ちが私にも生じた背景についてメモしておこうと思う。

紹介されているデイビット・マークス氏のインタビュー記事には、日本のファッション誌の特徴としてその情報量の多さとともに、読者が服の選び方、着方に正解を求めるバイブル的な存在になっていることが挙げられている。

正解を求める心とは?
こうしておけば間違いではない。
恥をかかない。失敗しない。

こういうことだろうか。確かに私も、未体験の文化風習をベースとする公の席で自分のような立場の人間が何をどう着ればよいかについては、周囲に失礼とならないようにと事前に調べたりすることはよくある。そういう状況以外で「決まった正解」なんてあるんだろうかと苦笑。

失敗は成功のもと、という。自分の選択による私服生活に入って以来、トライ&エラーが続く。何が素敵に見えて何がそうでないか。着て行動してみないとわからないこともある。誰が何と言おうと自分が似合っていると自信を持って、背筋をのばし颯爽と歩いていればそれだけで格好よかったりする。(そもそも東京を歩いていて残念に思うのは、どんなにスタイルがよくて素敵なファッションに身を包んでいても姿勢や歩き方が格好よくないケースが多いこと。)

普段の生活の中で、必ずしもファッション誌でなくとも魅かれたビジュアルは切り抜いてファイリングしておく。対象は時代問わず国内外のアート作品も含む。街中ですれ違った人のスタイリングに魅かれたら一瞬でも凝視してそのバランスを記憶にとどめる。これを続けていくと自分が素敵と感じるタイプの傾向がわかってくる。そのうち魅かれる対象の背景を知りたくなってその文化や歴史を調べ始めたりする…自分は昔からこんな調子だったので、そういう視点を大切にファッション誌の台割を企画したことがあったなあ…と思い起こす。20代後半に短期間編集者として関わったイタリアモード誌。文化紹介に力点を置いていたと思う。しかしこの雑誌は当時の日本ではあまり売れず短命であった(苦笑)。 今は存在しない。

7年前から「ファッションとアロマ」という講義で服飾専攻の大学3年生に、香りという見えないイメージからの視覚作品を課しているが、そこに絶対的な正解はないと最初に伝える。様々な香りから刺激を受けながら自分の五感に向き合い、自分なりの「正解」を探しなさい…(正解はアナタの本音の中にあるかも)と。そういう経験も積んだ学生が未来のファッションを切り開いていってほしいと改めて願う。



0 件のコメント:

コメントを投稿