2012年2月9日木曜日

「アロマジュエル」…衣類香りづけプロダクトに思う

衣類の“香りづけ専用製品”発売、量と組み合わせで香りメーク自在
(2012年2月9日 東京ウォーカー)
のニュースを見て。

第一印象。
機能としては、日本ではニーズは高いと思う。
ただ、製品のパッケージデザインはあまり私の目には好ましくないので、入手したとしても見えないように収納するスペースを考えなくてはならない。

アメリカではすでにこうした方式が広く普及しているらしい。さすが合理的。
「ほのかに違和感なく香る人」を洗濯とともに演出できるという機能は便利かもしれないが…かつて日本で平安時代に伏籠(ふせご)に着物をかけ、下から香を焚いて雅な香りを着物に移したという、枕草子に描かれたシーンのイメージとはますます離れていく。

「なにか(今回の場合は洗濯)のついでに、香りをつける」
というのと
「綺麗にした上で、さらに目的に合わせた香りを纏う」
というのとでは根本的に違うようには思うが、それでもこのような製品の登場によって少しでも身の周りを心地よい香りにと意識を向ける人が増えるとしたら、その価値は大きいのかもしれない。洗濯によってリラックス、リフレッシュできるという価値の提供も確かに重要。

2012年2月8日水曜日

梅香

本日は満月。

日曜日に出会った梅の香り。
優雅。どこか懐かしく遠い記憶に近づくような一瞬…
この素晴らしい香りを愛でたという昔の人の美意識には深く共感。




上の写真の梅は「八重野梅」という。
2月5日、羽根木公園の中で幸先よく開花していた種類の一つ。きっと来週は周囲の蕾もほころんでいるにちがいない。

小田急線梅が丘駅近く。羽根木公園での「せたがや梅まつり」は2月4日から2月26日まで。日一日と芳しい空気に満たされて…春へ。

2012年2月6日月曜日

髪に春風を描いて

雑誌の2月号、ともなればもう春の話題。
例えば、ヘアスタイル。

コチラも、いちはやく春から夏へのヘアスタイルを提案。今春はボリュームがポイントらしい。といってもホントにボリュームが必要…というより、髪の一本一本が流れるように見えるスタイルが春っぽいのだと思う。

数年前まではある一定の長さをキープしていたけれど、この一年位はフェイス縦ラインの2倍を目指して伸ばしてみた。これでわかったことは沢山。センターパーツかサイドパーツかによって服の着方を変えたり、髪先やサイドの流し方一つで印象が変わり、気分も変わる。

一日外出してくると髪は様々な匂いを吸い込んでくる。でも比較的イヤな匂いにならずに済む方法の一つは、お気に入りの常用フレグランスを一拭きしたティシュを髪全体に包み込み、軽くクシュクシュさせてからブラッシングしておくことかもしれない。そのティシュは…捨てずにコートのポケットにでも入れて。こんな身につけ方だけで、すれ違ったときにかすかな芳香を含む春風をなびかせられるかも。

防寒も兼ねて長い髪をガードしたければ大きめのストールで首まわりをグルグル巻きにした中に髪をしまいながら歩きましょう。実際今日の私はそのおかげで、帰宅したときに煙草のにおいも外気独特のにおいもあまりついておらず、たったそれだけのことで疲れを感じずに済んだことも嬉しい。



2012年2月5日日曜日

柚子・ゆず・yuzu

柚子、と書く。厳寒期の木に実る、光のような柚子色を思い起こす。



ゆず、と書く。やわらかく拡がる香気を想像。



I try to write "yuzu". It reminds me of special aroma.

レモンのようなインパクトがありながら、レモンよりも優しく香る。
グレープフルーツのようにほのかな苦味をかすませながらも、鮮やかに香る。

春へと近づく如月に。

2012年2月4日土曜日

「恋は香りから始まる」(新間美也 著 / 飛鳥新社 刊)

先月お会いした雪の日からもう2週間。東京でユックリとお話を楽しんだ調香師の新間美也さんから素敵なご著書をお送り頂きました。
「恋は香りから始まる」(2006,10,7 飛鳥新社より発刊)。




まず、タイトルから感じたことを。
私の初恋は確かに香りから始まりました。
それは6才のとき。相手は異性でもなければ他人でもなく。
香りから拡がった想像の中で描いた、未来の「私」に対して。
ふと出逢った外国製フレグランスの香り。それが香水と呼ばれるものであることも知らず、その香りを手首や髪に纏い…一瞬のうちに「大人になったら私はこんなふうになりたい」と着ている服や髪型や話し方を想像しました。そしてこの秘密が芽生えてから、私のこれまでの「生きた」時間が続きます。…確かに私にとって、後に深いつながりを持つことになった人たちとの間には印象的な香りの記憶がありました。

「少しずつユックリと読んでくださいね」とメッセージを頂いたので、仕事の合間に少しずつ、柔らかな物腰の美也さんを思い起こしながら、様々なパリでの香りのエピソードを楽しく読みたいと思っています。

富士山の眺めと美味しい緑茶産地として名高い静岡県ご出身の新間美也さんは、大学でフランス語を専攻され、1997年渡仏。パリにある香水学校にて調香師に師事。2000年には「Miya Shinma」ブランドを立ち上げ、フレグランスをはじめとする様々な商品を展開。その後日本にも香水学校を開設されて現在はパリ、東京、静岡を行き来されています。

「Miya Shinma」ブランドは、フランス・パリにある老舗デパート「ル・ボン・マルシェ」との取り引きをきっかけにスタートしたそうです。木箱に入ったフレグランスの名前も、HANA、TSUKI、YUKI、MIZUなど…日本の気候風土に育まれた香りの感性がフランスの人たちへのメッセージの形となっているように感じます。フランス以外にも、日本、イギリス、ドイツ、アメリカなどでも販売されています。(著書巻末の情報より)

Miya Shinmaブランドについての情報はコチラ 。著書によると、商品は山形県の「広重美術館」、磐田市香りの博物館はじめ、静岡県内のいくつかの場所でも入手できるようです。


2012年2月2日木曜日

楽しいからこそ疲れることも承知して

美術館で全く背景を知らない作家の作品を鑑賞するのは楽しい。
私は鑑賞に時間がかかるので一人で行くことが多い。
全ての作品をくまなく観るためではなく、
心魅かれるものと出逢ったときの余韻を大切にしたいから時間をかける。

詳しいことはよく憶えていないが、私が忘れられないインパクトを受けた美術館の一つはパリのピカソ美術館、そして鎌倉・神奈川県立近代美術館で観たスペインの彫刻家、エドゥアルド・チリーダの作品。今日浮かぶのはその二つ。

先週末から99名の学生による、香りのビジュアルデザイン作品を鑑賞している。
ただ眺めて色々感じるだけでなく、この課題を課した私は一つひとつ評価しなければならない。正直に言ってしまえば、成績評価提出期限までの時間さえもっと余裕があれば、こんなに刺激的で楽しいことはない。半年間私の講義を受けてきた学生が、自身の背景と向き合い、一つの香りと向き合い、ファッション観を視覚化する。大変な作業だったことと思う。表現の楽しさと苦しみを同時に感じたことと思う。だからこそ提出作品一つひとつにかけがえのない重みがある。

彼らの作品を丁寧に観ていくことは、世間の評価がある程度つけられてしまった美術作品を鑑賞するよりもはるかに面白いと思うことも多い。それは私の考え方として、ふたつの鑑賞法を持っているからかもしれない。

1,表現から感じることを受け止めた私の第一印象をまずは大切にする。
2,表現に至るプロセスや背景も合わせてよく読み、表現とのつながりを考える。

1には直感というか直観というか、素早い感覚反応が働く。シンプルな驚きであったり、ミステリアスな謎であったり、次々と想像の扉を開くようなインパクトであったりする。時には「ああ、残念、時間がなかったのね、」と完成度のレベルが一目でわかることもあるが、それでも表現の一端は感じ取れる。美術館などで鑑賞するならここまででも十分楽しめる。しかし、大学の私の課題ではこの段階だけでは評価しない。2を踏まえて総合的に評価する。

一つの作品には一人の作者のこれまでとこれからへの気持ちが凝縮されている。自分の講義でこのような課題を課すことを7年続けてくると、2を踏まえなくても、1の初見だけで全体的なことが感じられるようになってくる。だから楽しいだけに余韻も残る。余韻を考慮せずに次々と作品を眺めると、私の感覚はまるでデリケートな嗅覚のごとく疲弊する。

楽しいからこそ疲れることも承知して。
驚きも謎もインパクトも脳のエネルギーを消耗させる。
一つの作品から多くを感じたら、その余韻を楽しみながら次の作品を見る前に軽く気分転換する。お茶を飲んだり、音楽をきいたり。前の作品の余韻を消してからフレッシュな感覚で次へ。こうすれば疲れないし、疲れた感覚では鑑賞も評価もできない。次の作品への好奇心を待つのも楽しい。



2012年2月1日水曜日

多言語生活のおもしろさ

母国語は日本語。
情報収集のために英語とフランス語もよく使う。
いわゆる「ペラペラ」ではないがそんなことはどうでもいい。一つの言語習得に終わりはないのだから、日々必要に応じて少しでも語彙を増やしていけばよい、くらいに思っている。間違って笑われようとも積極的に使う。そもそも母国語ですら完璧だという自信はないので手紙を書くときも辞書は手放せない。
植物の学名はラテン語なので、これはなるべく覚えるようにしている。なんといっても植物学名は万国共通。英語やフランス語にはラテン語由来のものが多い。

イタリアに取材出張したとき、事前に挨拶フレーズと数字と疑問詞だけは憶えていった。街中で買い物したり道をきいたりするだけならこれだけでも事足りた。ブルガリアに出張したときも同じ。全ては必要の頻度の高い言葉から始まった。

化学記号も数式も、ある意味初めて学ぶ側にとっては「外国語」。
このきまりごとの中で表現する手段をもつと、考える方法も増える。

行く場所、会う人、会う目的によって身に纏う香りや服装を替えるのであれば、言語も使い分けできたら面白いだろうとよく思う。基本は母国語で考えるのだろうけれど、発する言葉はたとえ一言でも意志や思考の表現。服装と同じく。

そんなことを日頃から考えていたので、なおさら気になるのが今月発刊されるという「道化師の蝶」。第146回芥川賞受賞作。1/29日経新聞19面の「文壇往来」でこんなふうに紹介されていた。

…世界中を旅しながら30を越える言語で書く「友幸友幸」という正体不明の作家が無活用ラテン語で記した唯一の作品『猫の下で読むに限る』。これが書かれた謎を解明しようと「わたし」は調べていく。多重人格の「わたし」によってつづられ、入れ子細工ふうの構造でつくられた難解な作品だ。…

30を越える言語とか、無活用ラテン語…。難解という先入観はさておき、この文学は体験してみたいと思う。そもそも難解だからこそ面白いものが多く、簡単と感じるものに情熱など湧かない。