このフレーズに魅かれただけで
「映画」の影響力を自分の記憶に重ねて読みたくなった。
この本に書かれていたことのほとんどが
私にとっては未知の世界だった。
数多くの映画作品名、文学作品名、人名、そして地名。
この本を読む前に私が知っていたことといえば
カフカが
今も世に広く語り継がれる文学作品を残した人物であり
その彼の生きた時代はちょうど
フランスのリュミエール兄弟が動画技術を開発し
「映画」が世に現れた頃と重なるということだけ。
しかし、この接点こそが重要だった。
知っているからではなく
一点の好奇心から波紋のように拡がる興味と視野に
期待しながら本を読んでもいいと思う。
良書との出逢いとは
そういうものではないだろうか。
「映画」という表現手段。
これに大きな興味を持ち
これが人の知覚にどんな影響をもたらすか。
そんな好奇心の強い私には
本文の中に共感できる記述は多くみられた。
たとえば
「第一章 動くイメージの美学」より
本文p20中の次の文章には、映画表現の本質が記されている。
…カフカがとりわけ関心を寄せたのは、映画の映像の力動的な配列と連続化の技術である。彼は日記に、映画というメディアが人々が見慣れている出来事を加速化し、異様なものに変えることによって生み出す新たな運動の芸術を、きわめて的確に記録する。…
力動的な配列と連続化の技術。
これは、現実世界では見えないはずのものを見せてしまう。
あるいは、見逃していたものに気づかされる。
かつて見た映画の中でどうしても忘れられないシーンがあるとしたら
それはこうした技術の賜物に違いない。
『カフカと映画』/ペーター=アンドレ・アルト 著 瀬川裕司 訳(白水社 刊)
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