先日、このような質問を受けました。
「柑橘果皮も、花も、植物は自分のために香りを発散させているのであって
ヒトのためにではない…ヒトは勝手にそれを利用しているんですよね」
「確かにある意味そうですね、」
と同意した後に私は
「ただ、薔薇の花などはヒトの手を借りなければこれほど多くの種類には増えなかったでしょうし、…ヒトは花にその香りや姿の魅力でもって多様化の手伝いをさせられているのかもしれないと花の研究者の方とお話したことがあります」
と続けました。
その花の研究者とは
2005年秋に開館した香りの図書館 での2006年6月に行われたセミナーで花の香りについてご講演された渡辺修治先生(当時 静岡大学創造科学技術大学院教授)と、半田高先生(当時 筑波大学生命環境科学研究科助教授)。
花がいかに
多種多様な香気成分を受粉の媒介となってくれる虫や鳥などの生態・行動に合せて発散するか。
その発散が効果的となるよう、空気との接触面積が大きくなるよう円錐形の花弁となっているか。
一方で、受粉の妨げになるようなカビや菌を寄せ付けない成分で防衛するか。
香気成分を作り出す指令は遺伝子が行うのだそうです。
先生方のお話から
子孫を残すために確実に受粉できるよう
その香り成分と外観によって巧みに周囲の生物を誘引したり、忌避したりする、
この花というものの静かなるコミュニケーション能力に深く感じ入ったことを思い起こしました。
翻ってヒトは
なぜ自らを香らせるのでしょうか。
改めて再考してみました。
異性を魅きつけるため、
と簡単に言われがちですが、
ただ魅きつければよいというものではないでしょう。
花は魅きつける相手を選びます。
自分の遺伝子情報が選ぶ確実な受粉の協力者のみを呼ぶのです。
「誰にでも愛される」
なんてことは考えないほうがいいかもしれません。
これは
生きものの遺伝子レヴェルの深いコミュニケーションに関わっています。
自分の遺伝子が結合したらより強い種が生まれる可能性へ
導かれているとしたら…
唯一無二の自分を表す、
自分にとって最も自然な笑顔でいられる
(花であれば咲いていられる)
香りをほのかに漂わせたいものです。
植物から得られる感動は日々続きます。
その姿からも香りからも
ヒトは心地よさとともに
生きものとしての知恵を感じられるはずです。
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