薫香。
この日本語から私が想像するのは
においのする素材が、好ましく素敵な「香り」として感じられるように配慮と工夫を凝らされて、くゆらせられ、漂うように「薫らせ」られた状態である。
「におい」のするものを、「香り」にするのは人。
より心地よく、麗しく、素敵に、と人の感覚が求め続ける情熱の賜物。
そのような想いを
今回あらためてこの本を一読してさらに強く感じた。
『香り文化の源流を王朝に求めて 平安時代の薫香』
尾崎左永子 著 フレグランスジャーナル社いわゆる「香道」が成立する以前の日本。平安王朝の人々が、希少な香料を大切に工夫しながら自由に調合し、言葉以上に「雅び」を伝えるものとして活用していた。黒方、梅花、荷葉、侍従。これら冬春夏秋の香の調合から感じられる微細な季節感に、何か懐かしさすら感じてしまう。
空間にさりげなく香らせる、
重ねた衣からほのかに香らせる…。
これらは現代に生きる私たちにとっても求められる香りのマナーである。
様々に「におい」のするものを「香る」ものにする心配りや工夫において、平安時代の人々から学ぶべきことは多くあると感じさせられた。
この本を読みながら非常に共感し、写し取った部分が2箇所ある。
歌人でもある著者に敬意を評し、その2箇所を末尾に引用させていただく。
第一章の引用より、光源氏が女房に説く「程のよさ」には深く共感する。
このような心配りがないと「におい」は「香り」にはなり得ない。
第三章の引用では、薫香の発達した背景に、これが衣服(染織の最も発達した時期であった)、調度、音楽、遊宴、男女の交際などを含めた日常文化の中で最も効果を発揮したこと、行き届いた美意識に基づいた文化の成熟度との相関があったことが指摘されている点が重要。
香りを感じる嗅覚は、嗅覚単独では深まらない。
視覚、聴覚その他の感覚すべてと同調し共鳴するのだから。
以下に2箇所の引用を記す。
まずは、第一章 薫香の世界 P15より
……
『源氏物語』の「鈴虫」の巻には、いそいで室内に空薫物の香を満たそうとして、扇でパタパタ煽いでいる女房を、光源氏がきつく戒める場面がある。
空にたくは、いづくの煙ぞと思ひわかれぬこそよけれ、富士の峰よりも異に、くゆり満ち出でたるは、本意なきわざなり。(鈴虫)
空薫物は、どこから薫ってくるのか、さだかにはわからぬほどにたくものだ、富士の噴煙のようにけぶるようでは、本来の心がけからはずれてしまう、というのである。富士山がまだ活火山で、山頂から噴煙を上げていたことがわかるのも興味深いが、この心得は、現代の香りのマナーと同じことで、とくに湿気がつよく、香りが下に溜まりやすい日本という風土においては、必ず忘れてはならない心がけである。王朝の文化の洗練と優雅は、こうした「程のよさ」を常に示している。同時に、度を越さず、微かであるからこそ、その香りを聞き分けることも可能だったともいえよう。
次に、第三章 「源氏物語」の美意識と香り P66〜67より
……
…薫香の世界は単一に香りだけで発展したものではなく、四季観の確立による美意識を底流として、王朝独特の邸宅、衣服、調度、音楽、遊宴、男女の交際などを含めた日常文化の中で最も効果を発揮し、行き届いた美意識に基づいた文化の成熟度と相関しつつ発達したことを改めて考えるべきであろう。衣服文化に関しては染織の最も発達した時期でもあり、十二単に長い黒髪という国風文化の女性風俗もまた薫香を発達させる要因でもあった。